無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第百二十七話「前を向いて」

 ある酒場。

 そこでは四人の男女がテーブルを囲んでいた。

 酒場の喧騒の中で、そこだけがどんよりと暗かった。

 四人が全員、暗い顔をしていたのだ。

 

「……パウロ、死にましたわね」

 

 豪奢な金髪を持つ長耳族の女。

 エリナリーゼはぽつりとそう言った。

 

「ああ、死んだな」

 

 猿顔の魔族の男。

 ギースは手に持った杯の中を見ながら、その言葉に同意する。

 

「息子をかばって死んだんじゃ。本望じゃろうよ」

 

 たくましい髭を持つ炭鉱族の男。

 タルハンドは何事もないように答える。

 しかし、その声には張りがない。

 すでに大好きな酒を浴びるように飲んでいるはずなのに、まったく酔う気配がなかった。

 

「ゼニスもあれじゃ、パウロが浮かばれねえな」

 

 ギースの言葉に、タルハンドは無言で杯を傾けた。

 ゼニスが廃人になり、彼らも少なからずショックを受けていた。

 明朗快活なゼニスを知る彼らだからこそ、そのショックは大きい。

 しかしながら、彼らは冒険者である。

 死は身近だ。

 ゼニスが死んでいても、それを受け入れる度量はあった。

 

「生きていたんじゃ。もしかすると、治る可能性だってある」

 

 タルハンドは本心ではまるで思っていないことを口にした。

 魔物の毒で廃人になった、そんな話は時折耳にする。

 しかし、治ったという話はとんと聞いた事はなかった。

 首を落とせば、頭をつぶせば。

 たとえ神級治癒魔術でも治らないとされているのだから。

 

「例え歩けるようになっても、喋れるようになっても、記憶は戻りませんわ」

 

 はき捨てるように言ったのは、エリナリーゼだった。

 

「なんじゃい、エリナリーゼ。ずいぶんと詳しそうじゃのう」

「……そういうものですもの」

 

 エリナリーゼは詳しくは説明しなかった。

 彼女はタルハンドやギースより長生きをしている。

 似たようなケースも目撃したことがあると言っていた。

 だから、何かを知っているのだろう。

 しかし、その何かが『希望』でないのなら、タルハンドも無理に聞き出すことはなかった。

 

「……で、問題は、その息子の事じゃ」

 

 タルハンドの言葉。

 

「あぁ……」

 

 それを聞いて、ため息のような声を上がった。

 ルーデウス・グレイラット。

 パウロの息子は、もう一週間近くも、宿の一室から出てこない。

 

「ありゃ、元気が無い、なんてもんじゃないな」

「まるで廃人ですわ」

 

 エリナリーゼとギースが口々に言う。

 ルーデウスは、抜け殻のようになってしまった。

 声を掛けても、返事すらしない。

 うつろな目で、「あぁ」と頷くだけだ。

 

「ルディは、パウロさんに懐いていましたから」

 

 水色の髪を持つ魔族の少女。

 それまで黙っていたロキシー・ミグルディアはぽつりとつぶやいた。

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて、パウロより剣術を習う幼いルーデウスの姿だった。

 パウロに叩きのめされても、なお憮然とした顔で剣を振り続けたルーデウス。

 才能の塊だった少年の姿だ。

 ロキシーの目には、父親に楽しそうに剣術を教わっているように映っていた。

 家族とそうした時間を取れなかった彼女にとっては、まぶしいぐらいに羨ましい光景であった。

 

「まぁ、先輩の気持ちはわかる。けどよ、あのままじゃヤベェぜ?」

「そうですわね」

 

 ルーデウスはあの日以来、食事を口にしていない。

 食事を取れと勧めても、「あぁ」と頷くだけで、食べる気配はない。

 最低限、水だけは飲んでいるようだが、日に日にやつれているのがありありとわかった。

 目は落ち窪み、頬はコケ、顔全体にうっすらと死相が浮かんでいるようにすら思えた。

 

 このまま放っておけば、死んでしまうのではないか。

 ここにいる誰もが、そう思っていた。

 

「…………どうにかして、元気づけたい所ですね」

 

 ロキシーの言葉に、ギースの目線がエリナリーゼへと向かった。

 

「お前よ、こういう時はアレだって、いつも言ってたよな」

「それは、できませんわ」

 

 エリナリーゼは即答した。

 意味がわからなかったのは、ロキシーだ。

 

「何ができないんですか?」

「……」

 

 ギースとタルハンドは顔を見合わせ。口をつぐむ。

 ロキシーは訝しげに眉をひそめる。

 

「エリナリーゼさん、何か策があるんですか?」

「……ありませんわ」

 

 エリナリーゼはすまし顔でそう答えた。

 

「まあ、なんだ」

 

 ギースが頬をポリポリと掻いた。

 タルハンドは面白くなさそうに酒を飲んでいる。

 

「まぁ、なんだ。こういう時はよ、パーっと遊んで忘れちまうのが一番なんだよ」

「遊ぶ?」

「男ってのは現金なもんだからよ。酒飲んで、女を抱いて、気持よくなって、生きる喜びみたいなのを直に感じ取れりゃあよ、少しは元気も出るってもんなんだよ」

「あ……! ああ、なるほど」

 

 ロキシーも、そこで何を言わんとするかを理解した。

 男好きのエリナリーゼに何をさせようとしているのかを理解した。

 

「そ、そうですね。男はそ、そういうものですしね! なるほど! なるほど……」

 

 ロキシーは顔を赤くしつつ、俯いた。

 男は落ち込んだ時に女を抱く。

 そんな話は、かつてどこかで聞いた事がある気がする。

 特に、傭兵連中などは、戦いの前と後には、恐怖心を紛らわせるために女を買うと。

 冒険者だって、死にかけるような依頼の直後に、娼館へと赴く者も少なくはない。

 

 しかし、ルーデウスとエリナリーゼが、と考えるとロキシーの心中にモヤモヤとしたものが残った。

 

「エリナリーゼよ。おぬし、昔から言っていたではないか。自分は傷心の男を慰めるのは得意だと」

「言ってましたわね」

 

 ロキシーは考える。

 確かに、エリナリーゼはそうした事が得意だ。

 日常的に不特定多数の男と関係を持っているし、技術の方も凄いと聞く。

 経験豊富な彼女ならば、今のルディを立ち直らせる事も可能だろう。

 モヤモヤとはするが、仕方の無い話だ。

 

「珍しいな。いつものおめえさんだったら、今の先輩みてえな奴、放って置かねえだろうに」

 

 今のルーデウスは見るに耐えない。

 助けてやりたい、慰めてやりたいという気持ちはエリナリーゼにもあった。

 

 しかし、彼女もわかっているのだ。

 ここで、傷心を理由にルーデウスを抱いてしまえば、帰った後にどうなるかを。

 クリフを裏切り、シルフィを裏切り。

 平然としていられるルーデウスではないだろう。

 

「わたくしにだって、出来ない相手はいますわよ」

「どうして、ルディとは出来ないんですか?」

 

 ロキシーは口をキュっとつぐみ、エリナリーゼを睨む。

 

「ルディはあんなにも苦しんでいるのに」

「そりゃあ……」

 

 エリナリーゼは言いかけて、思いだした。

 ロキシーは知らないのだ、と。

 

「ルーデウスの結婚相手が、わたくしの孫だからですわ」

「……えっ!?」

 

 ロキシーは杯を取りこぼした。

 杯がテーブルに落ちて、カランと音がする。

 中身をこぼしながら、テーブルを転がり、地面に落ちて、カンという乾いた音を立てた。

 

「え、ルディ、結婚してるんですか?」

「ええ。してますわね。もうすぐ子供も生まれますわ」

「そ、そうですか……ま、まあ当然ですよね、ルディも年頃ですし……」

 

 ロキシーは内心の動揺を隠しきれず、地面に落ちた杯を拾い上げる。

 そして、中身を飲もうとして、いましがたこぼした事に気づいて、新たに注文した。

 

「あ。このお店で一番強いのをお願いします」

 

 ロキシーは目をぐるぐるさせつつ、腕を組んだ。

 結婚。

 ルーデウスは結婚ぐらいするだろう、うん。

 普通の事だ。

 うん。

 そう自分に言い聞かせる。

 

 そして、迷宮の中での自分の行動を思い出して、奥歯をかみ締めた。

 ルディがフリーだと思ってアタックをかけた。

 今までの経験にないレベルで好印象だったが、それはあくまで自分が知り合いだから無碍に扱わなかっただけか。

 傍から見ればさぞ滑稽で、道化のように面白かったろう。

 

 なんで、誰も教えてくれなかったんだ、と叫びたい。

 けど、そんな文句は喉の奥にしまいこむ。

 今は自分のことなどどうでもいい。

 

「で、でも、例え結婚していたとしても、今は非常事態ですし、一度ぐらいは、いいんじゃないでしょうか」

 

 そんなロキシーは、自分が何を言ってるのか、理解していなかった。

 ただ、ルーデウスをどうにかして立ち直さねば、という想いがあった。

 

「……かも、しれませんけど、わたくしにはできませんわ」

 

 エリナリーゼは、若干悔しそうに言った。

 その悔しい表情を見ても、ロキシーには気持ちがわからない。

 

「……おまち」

「あ、どうも」

 

 と、そこに注文した酒が届く。

 ロキシーは杯を煽り、一気にそれを飲み干した。

 カラカラに乾いた喉に、焼けるような酒が染み渡った。

 やけにおいしいと感じられたのは、きっと体が酒を欲しているからだろう。

 

「それに、ルーデウスもわたくしとは……」

 

 エリナリーゼは、そこで口をつぐむ。

 

「まあ、わたくしが無理でも、ギースあたりが娼館にでも連れていってあげればいいんじゃありませんの?」

「どうだかな。何にも知らねえ相手を抱いて、ルーデウスが立ち直るとは思えねえ」

「まあ、今のあの子に必要なのは、頼れる相手に甘えることでしょうしね」

「じゃあ、リーリャか?」

「だからっ……」

「ああ、わかったよ、んな怒るな」

 

 エリナリーゼの心中は複雑だった。

 シルフィの結婚は妨げたくない。

 しかし、ルーデウスは救いたい。

 

 自分がルーデウスを抱けば、彼を立ち直らせることは出来るだろう。

 自信もある。

 しかし、それは取り返しのつかない選択ミスな気がしてならないのだ。

 

 いつもなら、自分が汚れ役になればいいと考える。

 今まではそういう役割の時も多かった。

 しかし、そこにクリフを裏切りたくない、という気持ちが入ると、もうだめだ。

 

「……」

 

 そこで、沈黙が場に流れる。

 静かに酒を飲む音だけが続く。

 身長のでこぼこな四人組に声をかけようとする者はいない。

 そこだけが、お通夜のように静かだった。

 

「いずれにせよ、ゼニスもあんなになっちまったんだ。

 先輩には早いとこ立ち直ってもらって、こんな町とはおさらばしてえよ」

 

 ギースの言葉で、残り三人もため息をついた。

 

「そうじゃな……」

 

 彼らもまた、疲れていた。

 なにしろ、六年。

 六年だ。

 

 転移事件から六年も経過したのだ。

 決して短い時間ではなかった。

 中央大陸から魔大陸へ行き、魔大陸からベガリット大陸に渡り。

 そして、最後。

 転移の迷宮探索である。

 

 きつい時もあった、苦しい時もあった。

 しかし、それは全てが終わった後に笑うためだったはずだ。

 

 確かに、転移事件は不幸な出来事だった。

 しかし、彼らにとっては、不幸なだけの出来事ではなかった。

 バラバラだったはずのパーティが少しずつ集まった。

 エリナリーゼとタルハンドがまたパーティを組み。

 ギースがパウロのために動き出し。

 パウロとタルハンドが仲直りをして。

 そして、最終的に、パウロとエリナリーゼが共に並んで戦えるに至った。

 もう、こんな事はないと思っていたのに、パウロを中心に、またまとまったのだ。

 

 ゼニスを助けたら、ギレーヌをどっかで見つけ出して、またみんなで酒でも飲もう。

 なんて、誰もが思っていたはずだ。

 

 しかし、パウロは死んだ。

 

 それだけで、彼らは言い得ぬ脱力感を覚えてしまった。

 何もかもが台無しになってしまったような。

 長い時間をかけて作り上げてきたのに。

 最後の最後で踏みつぶしてしまったような脱力感を。

 

 無気力になっていたのは、ルーデウスだけではなかったのだ。

 

「なに、ルーデウスは、あのパウロとゼニスの息子じゃ、今は落ち込んでおるが、いずれ自力で立ち直るじゃろう」

「……だと、いいですわね」

「……」

 

 タルハンドの言葉に、その場にいた二人は曖昧に頷いた。

 彼らはルーデウスの弱さを知っていた。

 しかしもう十六歳で、子供ではない。

 辛い事はあっても、芯はもう立派な大人なはずだ。

 死は誰にでも訪れるし、冒険者にとっては身近なものだ。

 親はいつか死ぬ。

 誰もが乗り越えてくる。

 だから、ルーデウスも、いずれは……と。

 

「……」

 

 ただ一人、ロキシーだけは頷かなかった。

 彼女は思い出していた。

 昔の事を。

 

 

--- ルーデウス視点 ---

 

 

 窓の外を見ると、夕方だった。

 俺はベッドに座り、ぼんやりとしていた。

 あれから何日経ったのだろうか。

 どうでもいいか。

 何日経っていても。

 

 コンコン。

 

 ふと、部屋の入り口がノックされた。

 

「ルディ、いいですか?」

 

 見ると、ロキシーが入り口に立っていた。

 扉、開けっ放しだったか。

 

「……先生」

 

 久しぶりに声を出した気がする。

 かすれて、ロキシーに聞こえたかどうかはわからないが。

 

 ロキシーは、そそくさという感じで俺の前まで歩いてきた。

 どうにも妙な感じだ。

 なんでだろうか。

 ああ、そうか、今日はローブ姿じゃないのだ。

 上下に別れた、薄手の服を着ている。

 珍しい。

 

「失礼します」

 

 ロキシーは硬い口調でそういうと、俺の隣に腰を下ろした。

 しばらく、そのまま、無言で数秒。

 ロキシーは言葉を選ぶように、ぽつりと言った。

 

「ちょっと気分転換に、わたしと出かけませんか?」

「……?」

「ええ、この町は他の大陸では見られないほど、たくさんの魔力付与品(マジックアイテム)がありますし。そこらへんを見て回るだけでも、結構面白いかもしれませんよ?」

「いえ……」

 

 そんな気分ではない。

 

「そ、そうですか」

「すいません」

 

 ロキシーの誘い。

 俺を元気付けようとしているのはわかる。

 いつもなら、俺は犬のように付いていっただろう。

 しかし、今はそんな気にはなれない。

 

「……」

「…………」

 

 また、しばらく沈黙が流れる。

 ロキシーは、また言葉を選ぶように、ぽつりと言った。

 

「……パウロさんと、ゼニスさんの事は残念でした」

 

 残念。

 残念の一言で片付けていいのだろうか。

 まあ、ロキシーにとっては、所詮他人事だからな。

 

「わたしも、ブエナ村で五人で暮らしていた時の事は、よく覚えています。

 わたしにとって、一番幸せな時期だったかもしれません」

「……」

 

 ロキシーは静かにそういいながら、俺の手を握った。

 ロキシーの手は熱かった。

 

「冒険者をしている時、身近な人が死ぬことは珍しい事ではありません。辛さはわかります。わたしも経験がありますので」

「……嘘つかないでくださいよ」

 

 俺は、ロキシーの両親に会ったことがある。

 あの二人は元気だ。

 他に子供がいたという話は聞いたことはない。

 

「先生は父さんも母さんも元気じゃないですか」

「そうですね、最後に会ったのは数年前ですが、両親は元気そうです。あと百年は生きるでしょう」

「じゃあ、わかんないですよ!」

 

 俺は心の中で湧き上がるものを感じて、ロキシーの手を振り払った。

 

「軽々しくわかるなんて言わないでくださいよ!」

 

 大声で叫ぶ。

 叫ぶと、体の奥に残った最後の力が抜けていくように感じた。

 

 ロキシーは、面食らったような顔をしつつも、真面目な表情でぽつりぽつりと話し始めた。

 

「死んだのは、冒険者を始めてすぐの頃、パーティを組んでくれて、冒険者のイロハを教えてくれた人です。親とまでは言いませんが、兄のような人だったと思います」

「……」

「彼はわたしをかばって死にました」

「……」

「わたしも悩みました」

「……」

「もちろん、実の両親を、同時になくしてしまったルディほどではないとは思いますが、落ち込みもしました」

「……」

「だから、今のルディの気持ちも、かけらぐらいはわかるつもりです」

 

 じゃあ、やっぱりわからない。

 転生して、昔の自分と今の状況の板ばさみになっている俺の気持ちはわからない。

 正直、立ち直れそうもないのだ。

 ロキシーがどう考えて立ち直ったのかを知った所で、俺がまねできる気がしない。

 

「ブエナ村での生活は、本当に幸せでした。

 アスラ王国で働こうと思って出てきたけど仕事が見つからなくて、

 片田舎まできて、足掛けのようなつもりで始めた家庭教師でしたが、

 ルディはとても才能に溢れていて、パウロさんもゼニスさんも、暖かく接してくれました。

 わたしに家族の温かみを実地で教えてくれたのは、彼らだったのかもしれません」

 

 ロキシーはそう言って、俺の目を見た。

 澄んだ目だった。

 

「わたしにとっては、第二の家族です」

 

 ロキシーはそう言うと、ベッドの上で立ち上がった。

 俺の後ろに回りこみ、膝立ちになると、俺の頭を抱えるように、抱きしめてくれた。

 

「ルディ。わたしは、あなたと悲しみを分かち合えると思っています」

 

 後頭部に、やわらかい感触が伝わってくる。

 トクトクと、ロキシーの心臓の音が聞こえる。

 安心する音だ。

 どうして、この音を聞くと安心するのだろうか。

 なぜ、大丈夫だと思えてくるのだろうか。

 

 匂いもそうだ。

 ロキシーの匂いは安心する。

 辛いとき、ロキシーの匂いを思い出すと、不思議と支えになった。

 

 なんでだろう。

 答えが喉から出掛かっている。

 でも出てこない。

 

「わたしはルディの師匠です。小さくて至らない師匠ですが、ルディよりも長く生きている分だけ、頑丈です。もたれてくださっても構いません」

 

 俺は、前に回されたロキシーの手を掴んだ。

 小さな手だ。

 でも、大きく感じる。

 この手も、見ていると安心する。

 

 もっと近づけば、もっと安心できるのだろうか。

 

「辛いことでも、二人で分ければ、きっと薄くなります」

 

 ロキシーはそういって離れた。

 俺は本能的に、ロキシーの手を手繰り寄せた。

 

「っとっと」

 

 小さな体は、簡単に俺の膝の上に落ちてきた。

 至近距離で目が合う。

 若干眠そうな目は、涙でうるんでいた。

 顔は真っ赤で、口元はキュっと結ばれていた。

 

 背中に手を当てて、引き寄せる。

 ロキシーの心臓の音がはやがねをうっている。

 暖かい。

 

「い、いいですよ」

 

 何がいいんだろう。

 

「だ、男性は辛いときに、女性を抱くと、気が晴れるという話を聞いたことがありますし」

 

 誰がそんな事を。

 ああ、エリナリーゼか。

 こんな時に、ロキシーに何言ってんだ、あいつ。

 

「女性の方もですね、辛い時は忘れたいと思いますし、わたしもパウロさんが死んで辛いですし。ルディがよろしければ、抱いていただいても全然構いません」

 

 ロキシーは早口でまくし立てる。

 

「そうです。これはわたしが忘れさせていただきたいんです。でも面白みのない体ですので……ルディが嫌なら、娼館に行くとかでもいいですよ?」

 

 言い訳をするようにまくし立てるロキシー。

 その姿は、俺が尊敬してやまない彼女の姿だ。

 言われるがまま彼女を抱いたら、どんな風になるのだろうか。

 

「ま、まあ、わたしはこう見えても経験豊富ですので、そこらの小娘より、ずっと上手にできると思います。軽い気持ちで、いやな気分を洗い流すつもりで、ものは試しのつもりで1回だけ……」

 

 支離滅裂なロキシーの言葉は、俺には届いていない。

 俺はその気になっていた。

 ちょっと心臓の音を聞いただけであれだけ安心できたのだから。

 もっと密着すれば、もっと安心できるんじゃないだろうか。

 そんな言い訳のような事を考えていた。

 

「あ、いや、上手な方がいいというのなら、エリナリーゼさんに頭を下げても……あっ」

 

 ロキシーをベッドへと押し倒した。

 ひどく乱暴に。

 

 それは、あるいは、八つ当たりだったのかもしれない。

 

 

---

 

 

 翌朝。

 目が覚めて最初に飛び込んできたのは、ロキシーの寝顔だった。

 髪を下ろしたロキシーのあどけない寝顔。

 

 同時に、やっちまった、という感想も頭をよぎる。 

 

「はぁ……」

 

 ため息が出る。

 シルフィになんて言おう……。

 

「……」

 

 また一つ悩みが増えてしまった。

 

 でも、なぜか、視界がクリアになった気がした。

 あれだけ悩んでいたのが嘘のような気分だ。

 まだ少し、もやもやとしたものは残っている。

 けれどここは、一番深い所ではない。

 昨日とは比べ物にならない。

 なんなんだろう。

 命を生み出す行為だから、命を失った悲しみを癒せるのだろうか。

 

「ん」

 

 と、そこでロキシーの目がパチリと開いた。

 彼女は目の前にある俺の顔をまじまじと見てから、毛布で体を隠すようにもぞもぞと動いた。

 

「おはようございます。ルディ……」

 

 そして、目線を外してぽつりと呟いた。

 

「その、どうですか?」

 

 どう、と聞かれて嘘はつけない。

 俺はロキシーを酷く乱暴に扱った。

 ロキシーが経験豊富なんてのは真っ赤な嘘だった。

 だというのに、彼女は全てを、痛がりながらも拒否はせず、受け入れてくれた。

 ありがたく、申し訳のないことをした。

 シルフィを愛する身としては、ロキシーを褒めるのはご法度な気がする。

 正直、ロキシーの体は小さく、少々俺とサイズが合っていなかった。

 だが、実際に気持ちよくなかったかというと嘘になる。

 今、こうしてリラックスしているのも確かだ。

 嘘をついてまでロキシーを傷つける事はない。

 

「凄くよかったです」

 

 ロキシーの顔がみるみる赤くなった。

 

「ありがとうございま……いえ、そうではなく、辛い気持ちの方は、少しは晴れましたかと聞いているんです」

 

 ああ、そっちか。

 失敬。

 

「はい」

「じゃあ、お礼に抱きしめてくれたりすると、嬉しいです」

「……はい」

 

 言われるがまま、ロキシーを抱きしめる。

 ロキシーの肌はやわらかく、しっとりとぺとついていた。

 汗、かいたからな。

 柔らかな肌から、トクトクというロキシーの心音が伝わってくる。

 安心する音だ。

 

「ルディの腕は、逞しいですね。魔術師じゃないみたいです」

「…………鍛えてますから」

 

 ロキシーはそういいつつ、俺の胸板や二の腕を、さすさすと撫でている。

 非常に可愛い動作で、俺のシルフィへの愛が揺らいでしまいそうになる。

 俺は、ゆっくりとロキシーを体から引き離した。

 そして、起き上がる。

 

 少し、彼女に聞いてみたくなった。

 

「ロキシー先生。一つ、変な事を聞いてもいいですか?」

「……なんですか?」

 

 俺の雰囲気に気づいたのだろう。

 ロキシーも、真面目な顔で体を起こし、ベッドの上に正座した。

 全裸でベッドの上に正座するロキシー。

 エロすぎてヤバいので目線をはずす。

 毛布で下半身を隠しつつ、話を続ける。

 

「これは、作り話なんですけど」

 

 そんな前置きをして。

 俺は話した。

 

 ある男の物語を。

 あくまでフィクションとして。

 

 若い頃にいやな事があり、隠遁した男。

 彼は二十年近く、両親のすねを齧るクズとして生きてきた。

 しかし、ある日、コロリと両親が死んでしまう。

 男は両親の葬式にすら出ず、それどころか人間として最低の事をしていた。

 それを他の家族に見られ、叩きのめされて、家から追い出される事となる。

 全てを失った男だが、しかし運よく新天地に至り、心機一転、心を入れ替えて生活しだす。

 生活は順調で、このまま幸せになると思っていた。

 でも、最近になって大きな失敗をして、大事な人を死なせてしまった。

 そこで、男は両親の死を思い出した。

 男は両親の死について、いまさらになって悔やんだ。

 

 そんな話をした。

 

 話せば話すほど、心の中の膿が吐き出されていくようだった。

 俺は、誰かに聞いてもらいたかったのだろうか。

 そんな簡単な事なのだろうか。

 

「……」

 

 ロキシーは静かに聞いていた。

 相槌を打つこともなく、ただ、静かに。

 

「その男はどうすればいいと思いますか?」

「…………」

 

 ロキシーは、しばらく沈黙を続けた。

 いきなりこんな事を言われても、なんと返していいかわからないかもしれない。

 まさか、これがそのまま俺の人生だと信じたわけではあるまい。

 彼女は賢い人だから、何か裏の意味があると思ってくれたかもしれない。

 

「……わたしなら、両親のお墓に行きます。今からでも、遅くはないでしょうから。他の家族の方とも、話をします」

「でも、お墓も家族も、そう簡単にはいけない、遠い所にあるんです。戻ってこれないかもしれない。男にも生活があります、新天地で家族も出来て、そっちも大切にしたいんです」

「戻ってこれないんですか?」

「はい、そもそも、行けない可能性も高いです」

 

 ロキシーはそこで、また少し黙った。

 しかし、今度の沈黙は短かった。

 

「それなら、どうしようもありません。今、目の前にいる家族を大事にするしかないでしょう」

 

 ロキシーの言葉は、ひどく月並みだった。

 誰にでも言える、誰もが考えるような言葉だった。

 特別でもなんでもない、当たり前のことだ。

 

「パウロさんだって。ルディには、それを望んでいるはずです」

 

 ロキシーは当たり前の事を、当たり前のように言う。

 おためごかし。

 ありふれた言葉。

 どこかで聞いたような言葉。

 

「前を向いてください。みんな、待っていますから」

 

 でも、俺の心はスッキリしていた。

 

 そう。

 月並みなのだ。

 前世における両親の死も、パウロの死も。

 当たり前の事なのだ。

 受け入れて、向かい合っていくしかないのだ。

 

 俺はこの世界で生きている。

 この世界で、生きていくのだから。

 

 パウロの死と、廃人となったゼニス。

 それらを北方大地で待つ家族に伝えなければならない不安。

 これからどうすればいいのかわからない不安。

 先行きの見えない不安だらけだ。

 

 しかし、逃げるわけにはいかない。

 結局、目の前の事を解決していくしかないのだ。

 具体的にどうすればいいのかなんてわからないが。

 一つ一つ、解決していくしかないのだ。

 

 この世界に来て、最初に決めたじゃないか。

 俺はこの世界で、本気で生きていこうって。

 なら、目を逸らしていたら、ダメだ。

 例えこれから、どんな困難があっても、乗り越えていくのだ。

 そうしなければ、いけないのだ。

 

 そう、再認識できた。

 できた所で、辛さがなくなったりはしないが。

 しかし、何かから抜け出せたような気がした。

 

「先生」

「はい」

「ありがとうございました」

 

 また、ロキシーに助けられてしまった。

 感謝をしてもしきれない。