無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第百三十六話「あたしが育てた」

 アイシャの話をしよう。

 

 彼女は元気だ。

 パウロが死に、ゼニスがあんな事になったというのに、何一つ変わる事なく、元気に過ごしている。

 むしろ、以前よりも元気なぐらいだ。

 我が家で一番元気と言ってもいい。

 リーリャのように窓の外を見て物憂げな表情をする事もない。

 ノルンのようにパウロの剣を見て、辛そうな顔をする事もない。

 

 何事もなかったかのように家事をして、

 昼には庭や自室で草花を育て、

 夜には俺に魔術を教わり、そして甘えてくる。

 

 まるで、パウロを悼む気持ちが無いかのようだ。

 アイシャにとって、父親とはさほど大きな存在ではなかったのだろうか。

 

 だがノルンはブエナ村でのことをあまり覚えていないらしい。

 なら、アイシャもまた、パウロやゼニスの事をよく覚えていないのかもしれない。

 

 ノルンがパウロと二人きりの家族であった時間が長いように。

 アイシャもリーリャと二人きりの家族である時間が長かったのだ。

 

 そうなると、俺も死者を悼めとは、中々言いにくい。

 父親(パウロ)が死んだという悲しみより、母親(リーリャ)が生きていた喜びの方が強いのなら、それでいいと思う。

 人生ってのは、変に悲しんで生きるより、楽しく生きた方が得だしな。

 

 

---

 

 

 さて、ある朝の日。

 俺は休日だが、あいにくとシルフィもロキシーも仕事だった。

 俺はルーシーの世話でもしつつ、のんびり過ごそうと思っていた。

 妻が働いているのに夫が休む。

 そう言うと少し情けない気分になるが、きっちり休むのも大人だろう。

 

 うーん、でも今の俺って収入が無いんだよな。

 子供も出来たのにこんなんでいいんだろうか。

 いや、でも、今やってる事も長期的に見れば金銭収入につながるし、問題ないか。

 

 なんて考えつつ、シルフィとロキシーを見送り。

 ルーシーが寝付いたのを確認。

 ぐっと伸びをしてから、ふと庭に出てみた。

 

 かつては、むき出しの地面が露出していた、荒れ放題の庭。

 それが、少し見ないうちに、随分と姿を変えていた。

 

 まず、冬でも枯れない木がドンと3つほど植えられている。

 これらの木は春、夏、秋にそれぞれ花を咲かせるらしい。

 一体どこからどうやって持ってきたのやら。

 そう思って聞いてみると、冒険者ギルドに依頼して、森から引っこ抜いてきてもらったらしい。

 運搬するのが大変だから高くついただろうと言ったら、ザノバが手伝ってくれたから護衛費だけで済んだのだとか。

 

 さらに、庭の隅にはレンガで囲われた区画があった。

 これは俺も制作を手伝ったので知っている。

 このレンガの中には、俺の持ってきた種籾が植えられている。

 水田は作り方を知らなかったため、陸作だ。

 今のところ、うまいこと茎が伸びてきている。

 順調そうに見えるが、実りを得られるかどうかは、ちょっとわからない。

 

 アイシャはレンガの中に作られた小規模な田んぼの前でしゃがみこんでいた。

 珍しい事に、ゼニスもその隣に座っている。

 

「何してるんだ?」

「あっ、お兄ちゃん。草むしりだよ!」

 

 草むしりって。

 そんな昭和の漫画じゃあるまいし。

 

 なんて思いつつ覗くと、確かにアイシャは草むしりに励んでいた。

 その隣で、ゼニスも黙々と雑草を引っこ抜いている。

 そういえば、ブエナ村にいた頃も、ゼニスはこうして草むしりをしていた気がする。

 やはり、ガーデニングには草むしりはつきものなのだろう。

 

「ゼニス様も、何か手伝ってくれるって」

「……」

 

 ゼニス様、という言い方に、俺は少しだけ違和感を覚えた。

 

「えっとな。アイシャ。母さん(ゼニス)の事は、お母さんって呼んでもいいんだぜ?」

「ううん。それはお母さん(リーリャ)がダメって。ゼニス様の事は、ゼニス様か奥様って呼びなさいって」

 

 リーリャの言いつけか。

 徹底してるな。

 とはいえ、アイシャもゼニスの事をあまり母親として見ていないから、難しいか。

 生まれたばかりの頃は、ゼニスはアイシャに対してもちゃんと母親してたんだがなぁ。

 まあいいか。

 家族であれば、呼び名なんて些細な事だ。

 

「母さん(ゼニス)はいつからこれを?」

「結構前だよ。最初はお母さん(リーリャ)も止めてたんだけど、あたしが庭いじりすると手伝ってくれるの。あたしより上手なんだよ」

 

 ゼニスはブエナ村では、よく庭いじりをしていた。

 庭の草木を大切にしていた。

 そのへんも関係しているのだろうか、この行動は。

 何はともあれ、記憶を取り戻すきっかけになりそうなら、止める事は無いか。

 

 それにしても、こうして並んで草むしりしてるのを見ると。

 

 なんとも仲が良さそうに見えるな。

 血は繋がっていないはずなんだが。

 ちゃんと母娘という事なのだろうか。

 

「あっ、そうだ。お兄ちゃん、今日お休みなんだよね?」

 

 なんて考えていると、アイシャが振り返って言った。

 ほっぺが泥で汚れている。

 

「ああ、今日は一日、家にいるよ」

「だったら、見せたいものがあるから、後であたしの部屋にきて」

「わかった」

 

 俺はアイシャの頬の泥を拭いながら頷いた。

 アイシャは泥を拭われて、ニヘラと微笑んだ。

 

 その様子をゼニスがじっと見ている事は、俺も当然気づいていた。

 

 

---

 

 

 見せたいものがあるから、後であたしの部屋にきて。

 

 随分と官能的なセリフであった。

 アイシャはマセた子である。

 唐突にスカートを持ち上げて、「あたしの全てを見て欲しいの!」なんていう可能性もある。

 

 いや、無いな。

 全てもなにも、一緒に風呂にまで入っている間柄である。

 これ以上なにを見せられるというのか。

 

 しかし、ああもあけっぴろげだと、アイシャの将来が心配だ。

 保健体育的な事も教えてやった方がいいのだろうか。

 いや、その辺は確かリーリャが教えたという話だったか。

 いやいや、間違った知識である可能性もあるわけだし、ここは一つ俺が。

 

 なんて考えつつ、俺はアイシャの部屋に這入りこんだ。

 後で来てといわれたが、『後』とはいつかという話は聞いていない。

 別に部屋で待っていても構わんだろう。

 決して11歳の女子の部屋に興味があるというわけではない。

 無いとも言わないが。

 

「うむ。掃除は出来ているようだな」

 

 アイシャの部屋は片付いていた。

 掃除は隅々まで行き届いており、部屋全体にはチリ一つ落ちていない。

 ベッドもきちんとメイクされている。

 

 各所に女の子らしい小物も見えた。

 例えば、ベッド脇のぬいぐるみ。

 二十センチほどの人型のぬいぐるみだ。

 明るめの茶色の毛糸の髪、ローブを着て、杖を持っている。

 魔術師だな。

 このあたりではぬいぐるみなんて売っていないはずだが、行商から買ったのだろうか。

 ザノバもこの手のぬいぐるみは持っていなかった気がする。

 てことは、かなりの掘り出し物だな。

 ていうか……まさか自分で作った、なんて事はあるまい。

 

 窓際にはいくつか鉢植えがある。

 旅の最中に入手したという種からは、きちんと芽が出たらしい。

 チューリップのようなものから、アロエやサボテンのようなものまで。

 鉢植えの大きさも不ぞろいで、10種類ほど並んでいる。 

 

 ノルンの部屋と違い、実に女の子らしい部屋だ。

 

 部屋の隅にあるクローゼットを開けてみると、中には三着のメイド服が詰まっていた。

 どれも使い込まれていて、継ぎはぎが目立つ。

 年季のあるメイド服だ。

 アイシャの背はグングンと伸びているし、これらもいずれ着られなくなるのだろうか。

 それとも、リーリャあたりが仕立て直すのだろうか。

 

 ふと見ると、クローゼットの端に、女の子らしい可愛い服が一着だけ入っていた。

 フリルとかついている奴だ。

 勝負服だろうか。

 見せたいものがコレなのだとしたら、少し申し訳ないな。

 見なかった事にしよう。

 俺はクローゼットを閉めた。

 

 クローゼットの下の引き出しを開けてみる。

 そこはパンツの群生地だった。

 小さく畳まれたパンツが、所狭しと詰まっていたのだ。

 もしアイシャの事が好きだという子がいたら、まさにここは桃源郷だろう。

 

 隣にはシャツの群生地もある。

 っと、よく見ると数着のブラジャーも確認された。

 11歳とはいえ発育のよろしい我が妹は、すでに胸部装甲の装着に成功していたのだ。

 しかし、まだまだ大きさはAカップという事か。

 おっぱい仙人によるとアイシャは稀に見る逸材という事だが、何事にも最初はあるものだ。

 

 コトッ。

 

「っ!」

 

 後ろから物音が聞こえた瞬間。

俺は予見眼を開眼し、両手に魔力を込めて振り返った。

 同時に引き出しを閉めて、音のした方向へと指先を向ける。

 

「……誰だ!」

 

 何も無い。

 誰もいない。

 

 アイシャとゼニスはまだ草むしりの最中だろう。

 リーリャは昼飯の用意をしているはずだ。

 

 アルマジロのジローだろうか。

 否、ジローはロキシーが学校に行くのに乗っていった。

 今頃は大学の馬小屋あたりで昼寝でもしているはずだ。

 ベガリットに行く前に購入した馬――松風は時折、町の馬小屋まで様子を見に行っているが、自力でここまで来るような事は無いだろう。

 

 ならルーシーか。

 いいや、ルーシーはまだハイハイすら出来ない。

 では、まったく別の何か、か。

 泥棒か。

 小さい子の初めてのブラジャーをつけ狙う変態野郎か……。

 

 低い姿勢で周囲を警戒する。

 

 誰もいない。

 隠れられる場所など無い。

 しかし、何か違和感がある。

 研ぎ澄まされた俺の直感が、何かがおかしいと訴えている。

 

 まさか、見えない敵だろうか。

 姿を消す魔道具だろうか。

 ならば、いずれ効果が切れるはずだ。

 

「……我慢比べか。いいだろう」

 

 一人で呟く。

 これで誰もいなくて、ただの家鳴りとかだったりしたら俺はアホだ。

 

 いや、確かに何かいるはずだ。

 違和感はある。

 よく見ろ。

 何かが先ほどと違う。

 

 ……ぬいぐるみ。

 いや、違うな。

 

 ドアは開閉されていない。

 ベッドに乱れは無い。

 天井も綺麗なものだ。はたいても埃すら落ちてこないかもしれない。

 

 となると残るは一つ。

 鉢植えだ。

 そうだ。

 鉢植えの数が違う……わけでもないな。

 増えたり減ったりはしてないように見える。

 しかし、あのあたりに違和感があるように見える。

 

 と、その時だ。

 太陽が雲から顔を出したのか、窓辺に強い光が差した。

 

 コトッ、コトッ!

 

「うおっ!」

 

 一番小さな鉢植えが震えた。

 そこに生えている植物がウネウネと動き始めたのだ。

 まるで光を全身に万遍なく浴びせるかのように、体をくねらせて、葉を向けて。

 

 植物が動くたびに、鉢植えが動いて、コトコトという音を立てている。

 先ほどの音の正体はこれだろう。

 しかし……。

 

「なんだこりゃ」

 

 恐る恐る指でツンとつついてみると、植物は驚いたように身をよじった。

 しかし、すぐに指先に身を摺り寄せるように、ゆっくりと蔦を巻きつけてきた。

 慌てて指を離す。

 植物は何事もなかったかのように、日光浴を再開した。

 

「動く植物……?」

 

 なんと奇怪な。

 もしかして、歌を歌うと踊ったりするのだろうか。

 

「……」

 

 そんな冗談はさておき。

 俺は、この植物に見覚えがある。

 そう、今まで何度も見たことがある。

 

 これは。

 こいつは……。

 

 トゥレントだ。

 

 

---

 

 

 トゥレントという魔物はどこにでもいる。

 魔物の代名詞として、この世界に生息している。

 言ってみれば、この世界におけるスライムのような存在だ。

 

 俺も色んなところを旅してきた。

 魔大陸、ミリス大陸、中央大陸、ベガリット大陸。

 あいにくと天大陸には行っていないが、この世界の五大陸のほとんどを制覇した。

 

 その全ての大陸に、トゥレントという魔物は存在した。

 森に入ればそこそこ、平地にもよく出没した。

 トゥレントは木の魔物だが、木の外見をしている奴だけじゃない。

 ジャガイモのようなストーントゥレント。

 サボテンのようなカクタストゥレント。

 色んな奴がいた。

 聞いた話によると、水を操るエルダートゥレントなんて種類もいるらしい。

 

 しかし、こんな小さなトゥレントは見たことがない。

 大きさはせいぜい15センチ。

 根の大きさも含めれば、20センチぐらいになるだろうか。

 4つの葉と、2本の蔓を持っている。

 花や実は付いていない。

 まだ幼木なのだ。

 俺はこいつを『ベビートゥレント』と仮称する事にした。

 

 まあ、名前なんてどうでもいいんだが。

 名称が無いと不便だからな。

 

 さて、問題は。

 なぜアイシャの部屋で『ベビートゥレント』が栽培(・・)されているのか、だ。

 

「で、なんなんだコイツは」

「えーっとね、なんか、突然動き出しました」

 

 アイシャは悪びれる様子も無く、そう答えた。

 

「いつ頃だ」

「お兄ちゃんが帰ってきて、すぐぐらいに。どう、凄いでしょ?」

 

 むしろ、随分と自慢げである。

 

「ああ、凄いな。でも、なんで今まで黙ってたんだ」

「言おうと思ってたんだよ! でもお兄ちゃんが忙しそうだったから後にしようって思ってたら、お兄ちゃんが先に見つけちゃったの!」

 

 アイシャはそういって、頬を膨らませてむくれていた。

 実にかわいらしい。

 

 しかし、なるほど。

 今日の用件はそれだったか。

 こいつを見せたかったのか。

 

「それにしても、手に入れた種の中にトゥレントが混じっているとはな……」

「えっ、違うよ。確かアスラ王国でもらった、バティルスの種だよ」

「あ、そうなのか?」

「うん。葉に蔓があるでしょ?

 もうちょっとしたら、紫色の花が咲くはずだよ」

 

 バティルスの花。

 名前は知っている。

 媚薬の材料だ。

 媚薬のほかにも香水の原材料になるらしいから、アスラ王国ではまだ一部で栽培しているのだろう。

 しかし、そんな花がどうしてトゥレントになるのか。

 

「こいつ、どうやったら動いたんだ? 最初から動いたのか?」

「ううん。最初は動かなかったよ。でも、鉢植えに入れ替えたら、急に動き出すようになったの」

 

 聞いた話によると、アイシャは花壇で芽が出たものを、しばらく育ててから鉢に植え替えているらしい。

 そこでしばらく育ててから、また庭に戻すのだとか。

 色々試しているらしく、鉢植えの形も、中の植物も様々だ。

 

「ふむ」

 

 鉢植えは普通だ。

 いつぞや、アイシャと一緒に雑貨屋で購入したものだ。

 特に魔力付与品(マジックアイテム)だったり、魔道具という事も無いだろう。

 

「変な事はしてないんだよな?」

「うん。他と一緒だよ。

土はお兄ちゃんに作ってもらったのを使ってる。

 やっぱり、ここらの土より、お兄ちゃんが作ったのの方が、栄養が多いみたい」

 

 なら、土の方は問題ないだろう。

 俺も特に何も考えず、土魔術で普通に生み出した土だしな。

 せいぜい、アイシャに対する愛情がこもっているぐらいだ。

 

「あ、でも、たまにお風呂の残り湯を与えたりしてたかな」

 

 お風呂の残り湯!

 俺がいない頃というと、主にシルフィとアイシャの汗が溶け出した残り湯か。

 たまにナナホシのものも混じっていただろう。

 なるほど。

 それならエッチな触手を伸ばすようになってもおかしくない。

 いや、おかしい。

 んなわけねえ。

 

「うーむ」

 

 結局、原因はなんなんだろう。

 普通の種を普通に育てたら魔物になりました。

 そんな事があるものなのだろうか。

 アイシャがもらった種の中に、偶然トゥレントの種が紛れ込んでいたという方が、まだ納得できる。

 トゥレントは周囲と擬態する。

 その過程で、怪しくない形としてバティルスの花を選んだのかもしれない。

 そう考えると、一応のつじつまは合うな。

 

「何にせよ、焼くかどうかして殺した方がいいな」

「ええっ!?」

 

 そう呟くと、アイシャは素っ頓狂な声を上げた。

 

「なんでっ!? せっかく育てたのに! 何も焼くことないでしょ!?」

 

 信じられない。

 そんな思いのにじみ出る叫びだった。

 確かに、自慢しようとして呼び出したら、焼き捨てるといったら、そういう反応をするか。

 

「……アイシャ。お前もわかっているだろう。

 こいつはトゥレント。魔物だ」

「でも、こんなに小っちゃくて可愛いよ!?」

「今はそうでも、大きくなったら人を襲うかもしれない。危険だ」

「人を襲わないようにちゃんと躾けるから!」

 

 アイシャが俺の腰の辺りにしがみついてくる。

 その目には、涙が溜まっている。

 つい「ちゃんと面倒見るんだぞ、俺は手伝わないからな」なんて言ってしまいそうだ。

 しかし、犬や猫ではない。

 トゥレントなのだ。

 

「ねえ、お兄ちゃん。飼ってもいいでしょ?」

 

 アイシャが上目遣いでお願いしてくる。

 

「可愛くしてもダメだ。捨ててきなさい」

「だって、この子、何も悪さしてないよ?

 他の子とも仲良くしてるし、あたしのいう事だってちゃんと聞くよ?」

「シレっと嘘をつくんじゃない。耳のないトゥレントがどうやっていう事をきくっていうんだ」

「見てて」

 

 そう言うと、アイシャは『ベビートゥレント』に向けて手を差し伸べた。

 『ベビートゥレント』はアイシャの細い指に、シュルシュルと蔦を巻きつけた。

 アイシャは蔦を巻きつけられたまま、葉の裏側あたりをくすぐるように撫でる。

 『ベビートゥレント』は、撫でるのにあわせて身をくねらせた。

 

 なんだか奇妙な光景だ。

 植物が動物のように反応している。

 

「はい、指を離して」

 

 アイシャがそういうと、蔓がしゅるしゅると解かれて、手のひらの上に乗った。

 

「小指はどれ?」

 

 蔓が少し迷って、小指に巻きついた。

 

「中指」

 

 蔓が小指を離し、中指に巻きつく。

 

「そのまま親指」

 

 アイシャの言葉に従うように、中指に巻きついたまま、親指の方に蔓が延びた。

 しかし、長さが足りずに、先端が親指の先に触れる程度だ。

 

「はい、離してー」

 

 アイシャはしばらく、そうやって『ベビートゥレント』と遊んでいた。

 そうして、俺の方を振り向いてくる。

 

「どう? ちゃんと言う事聞くでしょ?」

「ああ」

 

 確かに意思疎通は可能なようだ。

 見た感じ、よく懐いているという感じもする。

 

 少し考え方を改めるか。

 ……トゥレントは魔物だ。

 俺のイメージでは、木に擬態をして待ち伏せをして旅人に襲い掛かる、凶暴な魔物だ。

 

 だが、魔物と一言で言っても、人に慣れる奴もいる。

 魔大陸で乗ったトカゲやアルマジロのジローは魔獣だ。

 しかし、魔獣も魔物も、大本をたどれば同じものだという話だ。

 人に慣れるというのなら、この『ベビートゥレント』も魔獣なのではないだろうか。

 危険度なら、体の大きなジローの方がよっぽど危険な気がする。

 とはいえ、ジローはプロの調教師によって訓練された魔獣だ。

 

「俺はお前が夜中に絞め殺されたりしないか心配だ」

「バティルスの花なら、多分大きくなっても今の2倍ぐらいだし、大丈夫だと思う」

「うーん、でもなぁ」

「もし怪我したら、その時はあたしも素直に従うから!」

「大怪我をして取り返しがつかなくなってからじゃ遅いんだぞ」

「むー……ねえ、どうしてもダメ?」

 

 少なくとも、トゥレントを飼いならしたという話は聞かない。

 習性もわからないし、今後どうやって躾けていけばいいのかもわからない。

 そして、トゥレントは雑魚とはいえ、危険な魔物だ。

 一歩間違えば、大事故につながる気がする。

 もっとも、アイシャの言うとおり30センチまでしか育たないなら、事故の程度も知れているだろう。

 アイシャが種から発芽させ、ここまで育ててきたトゥレントだ。

 人間に対して慣れたなら危害を及ぼすとも考え難いが、それはあくまで動物を対象にした考え方だ。

 うーむ。

 

「……」

「わかった。どうしてもダメって言うなら、あたしにも考えがあるから」

 

 俺が迷っていると、アイシャがむっと唇を尖らせた。

 そして、開き直るように腕を組み、上目遣いのまま俺を睨みつけてくる。

 

「考え?」

「あのこと、シルフィ姉とロキシー姉に言うから」

「あのこと?」

 

 何か言われて困るようなこと、あっただろうか。

 そう首をかしげる俺に、アイシャは傲然と言い放った。

 

「地下室の隠し部屋のこと!」

「っ!」

 

 人には触れてはいけない部分がある。

 俺にとっては、地下室の祭壇がそれにあたる。

 あそこは、皆が寝静まった頃、ひそかに訪れて祈りを捧げる神聖な場所だ。

 我が神はすでに俺の傍にいるが、しかしそれはそれ、これはこれだ。

 鰯の頭もなんとやら。

 祈るという行為は人を安堵させ、充実した毎日を送るのに役立つ。

 俺はそれを、もう何年も繰り返してきた。

 生活の一部なのだ。

 

 もし、そんな場が知れたらどうなるだろうか。

 シルフィはどう思うだろうか。

 ロキシーはどう思うだろうか。

 リーリャはわかってくれると思いたい。

 アイシャはとりあえず、見てみぬ振りをしていてくれたらしい。

 だが、ノルンは間違いなく俺を軽蔑するだろう。

 そして、祭壇は恐らく取り壊される。

 

「あ、アイシャ。俺は、お前のためを思って言ってるつもりだ。トゥレントは危険な魔物だし、それを育てるとお前も危険な事になるかもしれない」

「あたしはお兄ちゃんがどんな変態でももう気にしないけど、シルフィ姉とかロキシー姉はどう思うかな? 特にロキシー姉は、ずーっと昔のパンツをあんな風に飾られて、どう思うかな?」

 

 ぐぬぬ。

 なんて奴だ。

 人が安全をと思っているというのに……脅すなんて!

 

 ああ、くそ、どうすればいい。

 どうするのがベストだ。

 

 と、悩んでいたその瞬間。

 唐突に、後ろの扉が開いた。

 

「あの、わたしの名前が聞こえましたが、呼びましたか?」

 

「えっ!」

「えっ!」

 

 俺とアイシャは驚いて扉の方へと向き直る。

 そこには、先ほど送り出したばかりの、ローブ姿のロキシーがいた。

 彼女はきょとんとした顔をしていた。

 

「な、なんでロキシーがここに……学校は?」

「忘れ物をしまして、それを取りに戻りました。今は丁度、授業もない時間なので」

 

 忘れ物、ロキシーらしい!

 いや、そうではなくて。

 

「あのね、ロキシー姉。お兄ちゃんがロキシー姉のむぐぅ……」

 

 慌ててアイシャの口を押さえる。

 どうしよう。

 

「……」

「…………」

 

 場に沈黙が流れる。

 窓際で、ベビートゥレントだけがウネウネと動いていた。

 ロキシーの目は、それに釘付けだった。

 ……よし。

 ここはひとまず、ロキシーからも反対してもらおう。

 彼女ならトゥレントの恐ろしさはよくわかっているはずだ。

 

「トゥレントですね」

「そ、そうなんですよロキシー。

 アイシャの奴がトゥレントを栽培するとか言い出してさ!

 でも、トゥレントも魔物だし、危険でしょう?

 ロキシーからもダメって言ってやってくれませんか?」

 

 アイシャがむーむー言いながら、俺の手を外そうとしてくる。

 馬鹿め。パワーで俺に叶うものか。

 例え噛まれたって離しませんよ。

 あ、ちょ、舐めないで。

 ペロペロしないで。

 

「いいのではないですか?」

 

 意外!

 それは許可!

 

「トゥレントもきちんと育てれば人に懐きますし、この大きさなら危険な事はないでしょう」

「え? そうなんですか?」

「はい。こちらではみかけませんが、ミグルド族は畑の害鳥避けにトゥレントを飼育していますしね」

 

 そうなのか。

 ミグルドの里にはそんなものが。

 あったような、無かったような。

 見たことあったっけ。

 よく覚えてないが。

 そうか。

 危険は無いのか。

 

 俺はアイシャの口から手を離した。

 

「アイシャ。お兄ちゃんが間違っていたよ」

 

 アイシャは胡乱げな目で俺を見ていたが、やがてにかっと笑った。

 

「でも、お兄ちゃんもあたしの事考えてくれてたんだよね」

「うん。もちろんそうだよ。魔物を飼うなんて、危ないしね。うん」

「じゃあ、あの事は黙っておいてあげる」

「ありがとうアイシャ。今度、何か美味しい物でも食べに行こう」

「うん!」

 

 アイシャは俺から離れる。

 そしてロキシーへと駆けていき、ぴょんと抱きついた。

 

「お姉ちゃん大好き!」

「…………なんなんですか」

 

 最後に、ロキシーの困惑顔が残った。

 

 

---

 

 

 こうして、我が家のペットに『ベビートゥレント』が加わった。

 

 無論、飼うにあたり、いくつか条件はつけた。

 一つ、人に危害を加えたらすぐに処分する事。

 二つ、人を襲わないようにきちんと躾ける事。

 三つ、家族には、どういう植物なのかきちんと教えておく事。

 四つ、万が一のことを考えて、赤ん坊の近くには置かない事。

 等。

 

 口をすっぱくして色んな事を言ったが、アイシャは嫌な顔一つせずに頷いた。

 言いつけは守る子だから、恐らく大丈夫だろう。

 

 ちなみに『ベビートゥレント』には、個体名として『ビート』と名づけた。

 彼の成長には期待しておこう。

 きっと、将来には、立派にアイシャの庭(オレのコメ)を守ってくれる事だろう。

 

 

 

 

 

 それにしても、あの祭壇を見つけるとは。

 本当にメイドは侮れないな。

 

学校の噂 その4

『番長の家には魔物が棲んでいる』