無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第二百十話「戦後」

 パックスを荼毘に付そうとした。

 焼いて、埋める。

 この世界での共通の供養方法だ。

 

 しかしザノバは首を振り、俺を止めた。

 パックスの死体がなければ、反乱が収まらない。

 国内の混乱を収めるためにも、死体は残しておくべきだと、平坦な声で言った。

 

 仮にも一国の王の死体を反乱軍に渡すべきではない。

 そう思ったが、ザノバは言い知れぬ圧力を持っていた。

 俺は結局、反論する事無く、水魔術でパックスの死体を綺麗にし5階へと運んだ。

 

 5階に登っていくと、ランドルフが王妃ベネディクトを背負い、大荷物を持っていた。

 ロキシーは、その手伝いをしていた。

 ランドルフに頼まれたのだという。

 裸のベネディクトに服を着せて、シーツを使って背負子を作る。

 クローゼットから服を出し、カバンに詰めるといった作業を、黙々と。

 

「陛下は?」

 

 ランドルフは開口一番、そう聞いてきた。

 

「崩御なされた。死体は反乱軍に渡し、混乱を鎮める」

 

 ザノバは淡々と答えた。

 ランドルフの表情は変わらなかった。

 結果はわかっていたとでも言わんばかりだ。

 

「私は陛下より、王妃を連れて脱出し、王竜王国に送り届けよと頼まれています」

 

 恐らくランドルフは知っていたのだろう。

 パックスが自殺を考えていた事を。

 なぜ止めなかったのか、と俺が言える義理はない。

 

「では、余らに付いてくるといいだろう」

「ハッ、ザノバ殿下……ご配慮、感謝いたします」

 

 極めて短いやりとりの末、ランドルフは頭を下げた。

 つい先程まで殺しあっていたランドルフが俺達に同行する。

 いつもなら、俺は彼を警戒しただろう。

 これこそがヒトガミの罠、ラストバトルが待っているのだと。

 でも、そうはならないのは分かった。

 ランドルフが戦いを望んでいない事が分かった。

 不思議な感覚だった。

 

 でも、わからんでもない。

 七大列強五位ランドルフ・マリーアン。

 俺なんかと比べ物にならないほど強い男ですら、どこか疲れた顔をしていた。

 もっとも、疲れたのは俺もロキシーも同様だ。

 もしここで「ランドルフと戦ってくれ」と頼まれても、俺は力なく首を振っただろう。

 

 誰もがぐったりとしていた。

 あのザノバですら黙りこくっていた。

 

 俺たち4人……ベネディクトを含めると5人か。

 5人は、重い足取りで、地下通路を使って王城より脱出した。

 

 水車小屋まで戻ってきた。

 真っ暗だ、夜明けまではまだまだ時間がある。

 暗闇に灯火の精霊が走ると、水車小屋近くにおいてある魔導鎧が明るく照らしだされた。

 結局、これも移動以外では使わなかったな。

 

「これは……もしかして闘神鎧ですか?」

 

 ふと、ランドルフに聞かれた。

 彼は呆然とした顔で魔導鎧を見上げていた。

 

「いえ、俺とザノバが作った、決戦用の魔道具『魔導鎧』です」

「そうですか……これを使われていたら、私も危なかったかもしれませんねえ」

「どうでしょうね、結局、俺はあなたの『幻惑剣』には対応できませんでしたから」

 

 そう言うと、ランドルフはフッと笑った。

 

「まあ、使う前に追い詰められましたがね」

「え?」

「一連の連携だけで私の体はボロボロに、あの岩砲弾を打ち消したことで魔力もほとんどなくなりましたからね……」

 

 慰めるかのようにそう言われた。

 

 てことは、あそこで、俺が臆病風に吹かれた余裕な立ち姿こそが幻惑剣だったのか。

 あそこで攻めれば、勝つことができていた……のか?

 

 いや……どのみち、ため息しか出ないな。

 一番の正解は、戦わない事だったのだ。

 勝とうが負けようが、結局は空回りって事だ。

 

「そういえば、ランドルフさん。ヒトガミの事を知ってるって言いましたよね」

 

 忘れないうちに聞いておこう。

 ヒトガミを知る人物ってのは、それだけで貴重だし。

 ここまできて、パックスも死なせてしまって。

 何の成果もあげられませんでしたでは、あまりに情けない。

 

「ええ、大した事は知りませんが」

「一応、知っている事を聞いておいてもいいですか?」

「いいですが……私の親戚が、大昔にヒトガミの力を借りて強大な敵と戦った話を聞いたというだけです」

「強大な敵、ですか……?」

「自分のフィアンセを守るため、ヒトガミの提案で闘神鎧を盗み出して着用し、それで戦ったそうですよ。当時最強と言われていた、龍神ラプラスに。

 結局フィアンセは守りきれず、ほぼ相打ちになったそうです……」

 

 ランドルフは最後に「眉唾ですがね」と付け足し、ククッと笑った。

 でも、その話はどこかで聞いたな。

 そうだ、確かキシリカとオルステッドが言っていたんだ。

 龍神と闘神が戦ったとかなんとか……。

 

「幼い頃、酒の席でよく聞かされました。恐らく作り話でしょうが……そんな話を聞いて育ったお陰で、ヒトガミという名前については聞き覚えがあるというだけの話です」

 

 いや、貴重な情報だ。

 言ってみれば、かつてのヒトガミの使徒についての話だからな。

 まあ、オルステッドあたりはすでに知ってそうだけど。

 情報は多少重複していてもいいはずだ。

 

「その、親戚の名前は?」

「ビエゴヤ地方の魔王、バーディガーディ」

 

 あ。

 いや、うーん。

 だったら、その話は眉唾かもしれない。

 あの魔王さまは豪快で適当なお方だった。

 そういう作り話をしてもおかしくない。

 オルステッドが嘘をついてるとは思えないけど……。

 まあ、誰かの武勇伝を自分がやった事にするのは、よくある話だ。

 

「ありがとうございました……」

 

 どっと疲れた。

 もう何も言う気力が無い。

 俺はそんなものに振り回されたのか……。

 はぁ。

 何も考えず、帰って眠りたい気分だ。

 考えてみれば、今日は丸一日、寝ていない。

 

「ランドルフよ、そなたはこれからどうする?」

 

 俺との会話が終わった後、ザノバがランドルフに尋ねた。

 

「このまま王竜王国へと向かいます」

「その後は?」

「王妃を出産まで守り、生まれた子に剣と学問と料理を教えます」

 

 出産という事は、ベネディクトは妊娠しているということか?

 見た目ではよくわからないが……。

 

「褒めて育ててやって欲しい、という事なので、少々ワガママな子供に育つかもしれませんね」

「そうか」

 

 ベネディクトが産み、ランドルフが育てる。

 もしかして、ベネディクトもパックスが死ぬ事を知っていたのだろうか。

 ランドルフ同様、なぜ止めなかったのか、とは言うまい。

 止めなかったはずがないのだ。

 一番やるせない気持ちになっているのは、この二人かもしれない。

 

「ランドルフ殿。一つ聞いてもよいか?」

 

 ザノバが、ふと思いついたように疑問を投げかけた。

 暗闇の中、ガイコツのような顔がかしげられる。

 

「そなた、何故パックスにそこまで付き従うのだ? 王竜王国の王の命か?」

 

 ランドルフは、うっすらと笑った。

 

「違います。好きだったのですよ。あのお方が」

「そうか……ならば礼を言おう」

「礼って、ザノバ殿下、あなた面白い人ですね」

 

 ランドルフは薄笑いのまま、俺の方を向いた。

 

「ああ、そうだ、ルーデウス殿」

「はい? なんでしょうか」

「ヒトガミには、あまり関わらない方がいいそうですよ。

 親戚も言っていましたが、敵にするにしろ味方にするにしろ、

 ロクな結果に終わらない、と言い聞かされましたからね」

 

 頷いておいた。

 そんな事は百も承知だ。

 そして、いまさらだ。

 できれば、10年前に教えて欲しかった。

 

「私の親戚も、ヒトガミに関わったせいで、ひどい目に合ったそうですからね」

 

 バーディガーディ。

 そういえば、あいつもヒトガミの事を知っているような口ぶりだった。

 今は、どこにいるのかさっぱりわからないが……。

 

「では皆様、お達者で」

「ランドルフ殿も」

 

 ランドルフは最後にザノバと握手を交わし、踵を返した。

 ガイコツが闇夜に消えていった。

 

「……」

「……」

 

 その後、俺達は誰に何を言うでもなく、水車小屋へと戻った。

 泥のように眠った。

 

 

---

 

 

 翌日、昼ごろに目を覚ました俺達は王都へと戻った。

 すでに、王城は反乱軍に占領されていた。

 門の封鎖は、いつのまにやら解かれていたらしい。

 

 『空絶眼』。

 ランドルフの魔眼がどんなモノで、

 どういう原理で敵を王城にいれなかったのかはわからない。

 でも、彼が王城から離れるか、あるいは時間経過によって効果が消失したのだろう。

 

 占領された王城からは、炊事の煙のようなものが見えた。

 中からは、活気が感じられた。

 この間のカロン砦の兵士のように、勝利に酔いしれているのだろうか。

 ともあれ、活気が感じられた。

 愚王は終わった、これから明るい未来が来る。

 そんな感じの活気が王城だけでなく、町の至る所から感じられた。

 

 逆に、活気のない場所もあった。

 町の広場だ。

 そこでは、パックスの死体が晒されていた。

 死体に敬意を払うつもりはないらしく、裸のままで、なぜか肩口のあたりに切り傷があった。

 俺達がみた時は、こんな傷は無かった。

 後から付けたのだろう。

 自分たちが倒した、という事にしたいのかもしれない。

 

 ジェイド将軍は「パックスは愚かな暴君で、自分の掲げる者こそが真の王である」と喧伝しているようだった。

 プロパガンダの一種だろう。

 

 実際、パックスが暴君で、愚王だったかは、政治を受けていない俺には分かりかねる。

 以前のパックスならそうだったろうが、

 最近のパックスは別に愚かでも暴君でもなかったのではなかろうか。

 いや、王族を皆殺しにした事にフォーカスすれば、暴君以外の何者でもないが。

 

 そんな噂が流布されているにも関わらず、パックスの死体に石を投げつける者は少数だった。

 愛されていたわけではないが、憎むほどでもなかった。

 そもそも、他国にいた時期が長すぎ、かつ在位期間が短すぎて、結局こいつ何だったんだ、と思う者が多いのかもしれない。

 無関心が大多数。

 そんな印象だ。

 

「……」

 

 ザノバはその様子を見て、震えていた。

 目を見開き、拳を握って震えていた。

 

 俺もこの光景には、何かこみ上げてくるものがあった。

 やはり、荼毘に付しておいたほうが良かったのではないだろうか……。

 死体を反乱軍に渡さ無かったほうがよかったのではないだろうか。

 城を占領した時点で、彼らだって勝ったと思っただろうし……。

 

 いや、それ以前に、俺は助けられたんじゃなかろうか。

 まさか飛び降りるなんて思っていなかったが、ザノバと一緒に飛び降りて、空中で魔術でも使えば、あるいは……。

 ……やめよう。

 俺はパックスがあんな簡単に飛び降りるなんて思ってもみなかった。

 手遅れだったのだ。

 もっと早い段階で、彼が自殺を考えていると気づくべきだったのだ。

 それも、無茶な話だが……。

 

「余は、また間違ったのでしょうか」

 

 思考にふけっていると、ザノバがポツリといった。

 彼の心中はわからない。

 ザノバが、どれだけ本気でパックスを弟だと思っていたのか、俺にはわかりかねる。

 ただ、ザノバはパックスに対して、確かに何か特別な感情を抱いていたのだろうことは、顔を見ればわかる。

 俺が知らない過去に、何かがあったのかもしれない。

 

「どうだろうな……でも、これを見れば、次の王に逆らおうって奴は減るだろう。国は……安定するんじゃないのか?」

 

 第11王子。

 名前はなんだったか。

 覚えてないが、確か三歳だったか。

 そいつが指図したって事はないだろう。

 ジェイド将軍とやらがやらせたのだ。

 

 理にはかなっている。

 釈然としないだけで。

 

「……」

 

 結局、ジェイド将軍がヒトガミの使徒だったのだろうか。

 殺した方が、いいのだろうか。

 でも、もし、パックスを殺すのが目的なら、すでに手遅れだ。

 事が終わったのなら、ヒトガミの使徒から外れている可能性もある。

 

 よそう。

 ここまで空回りを続けたんだ。

 今回の俺は、何をしても的外れな事しかできないだろう。

 ていうか、もう自分の判断に自信が持てない。

 

 一度帰って、オルステッドに指示を仰いだ方がいい。

 パックスが死んでしまった事も報告しなければならない。

 とはいえ、ザノバを置いて帰るわけにもいかない。

 

「ザノバ、俺はシャリーアに戻ろうと思うけど、お前はどうするんだ?」

「…………師匠。帰る前に、ひとまずジンジャーを待ってはもらえませぬか? 恐らく、今頃こちらに向かっているでしょうから」

「あ、そうだな。わかった」

 

 いかん、すっかりジンジャーを忘れていた。

 そうだな。

 彼女とも合流しなければならない。

 

 ひとまず動くのはジンジャーと合流してから。

 そう考えて、俺達はその場を後にした。

 

 

---

 

 

 その後、三人で王都に宿を取り、三日が経過した。

 ジンジャーと合流するのに、俺達の方からカロン砦に向けて移動するという案もあったが、行動には移されなかった。

 早く帰ろうと思うと同時に、もう少しこの国を見ておいた方がいい気もしていた。

 数日いた所で、国の何がわかるわけでもないだろうに。

 

 一応、情報収集を欠かさなかった。

 まだ、何か起こるかもしれない。

 だから魔導鎧の整備と、周囲の警戒は怠るわけにはいかなかった。

 

 町の中は、今回の噂でもちきりだ。

 王都を包囲した反乱軍と、パックス率いる王国軍の戦いの事。

 ジェイド将軍達と死神ランドルフの数日に渡る死闘の事。

 次代の王がどれだけ聡明で尊いかという事。

 

 捏造が多い。

 勝てば官軍とはいうが、ひどいものだ。

 もちろん、全てジェイド将軍がでっちあげたわけじゃないだろう。

 全然関係ない奴が冗談まじりで言った言葉が、まことしやかに流れている、なんて可能性もある。

 

 噂の流れがずいぶんと早いのもある所を見ると、

 城の外で待機していた時から、すでに噂は流れていたのかもしれない。

 

 人ってのは、より劇的なものを好むからな。

 事実は小説より奇なり。

 奇妙だがどうしようもなく、あっけないのが現実だ。

 

 宿の食堂で、井戸端で、市場で。

 嘘か真かわからないような言葉が、流れてくる。

 中には、次の王はシーローン王国の半分を北の国に売り渡す、なんてものもあった。

 そういえば、停戦交渉はどうなったのだろうか。

 砦の部隊長が引き継いでくれたのか。

 そのまま有耶無耶になったのか。

 なんともわからないが、ザノバはもう、どうでもよさそうだ。

 

 宿を取ってからというもの、ザノバは思案にふけることが多い。

 日がな一日、椅子に座ってボンヤリとしているのだ。

 

 思えば、ザノバは家族を失ったわけだ。

 兄を、父を、家を。

 この国は故郷だと言っていたが、自分の居場所がなくなった故郷に守る価値を感じていないのかもしれない。

 

 もっとも、落ち込んだり、塞ぎこんだりしている感じは無い。

 単純に考えるべき事が、多いのだろう。

 今後の事とか。

 

 落ち込んでいるのは別の人。

 ロキシーだ。

 彼女は、ここ数日言葉も少なく、食欲もないのか小食気味であった。

 夜になると、物憂げな表情で、じっと暖炉を見ているばかりだ。

 やはりパックスの死がショックだったのだろうか。

 

 ショックだろうな。

 最後の最後で、パックスはロキシーへの恨み事を言った。

 自分が死ぬのはお前のせいだと言わんばかりに。

 俺だったら、ショックを受ける。

 

「ただいま」

「…………おかえりなさい」

 

 ロキシーは、今日も膝を抱えて、ぼんやりと火を見ていた。

 俺はいつものように隣に座る。

 慰める言葉はたくさんあったが、どれも陳腐で、無責任な言葉だ。

 言う気にはなれない。

 あるいは言った方が、ロキシーの気は休まるかもしれないが……。

 

「確かに――」

 

 ぽつりと口を開いた。

 

「あの時わたしは、ため息をつきました」

 

 ロキシーはこちらを見ていなかった。

 けど、俺に向けて言ったのだ。

 彼女は懺悔でもするかのように、言葉を続けた。

 

「パックス王子が中級魔術を習得した日。

 喜び勇んで見せに来た彼に、わたしため息を返しました。

 ようやくこの程度かと、小声で言ったかもしれません」

「それは、傷つくでしょうね」

 

 そう返すと、ロキシーは、ギュッとローブの端を握った。

 

「正直、パックス王子を教える時は、ルディと比較ばかりしていたと思います。

 この問題はルディならすぐに理解できた、この魔術はルディならすぐ習得した、と。

 その上で、この子はルディより下。

 そう、見下していたのかもしれません」

 

 俺は中級魔術はすぐに習得した。

 ロキシーも、恐らくあっさりと習得したのだろう。

 

 でも、誰もが簡単に習得できるものではない。

 パックスはきっと、頑張ったのだろう。

 彼なりに努力をして、工夫をして、練習して、習得したのだ。

 

 それをロキシーに見せ、褒めてもらおうと思ったら、ため息。

 もし、俺がブエナ村にいた頃にそんな事をされていたら……。

 ロキシーを尊敬していなかっただろうし、結婚もしていなかったかもしれないな。

 

「当時、わたしは上ばかりを見ていました。

 王級の魔術を習得し、さらに高みを目指そうと考えていました。

 傲慢だったのかもしれません。

 自分より下の者をないがしろにしてしまう程に」

 

 ロキシーは下唇をかんで、ギュっと膝を抱えた。

 俺は彼女の背中を撫でた。

 ロキシーはかすかに震えていた。

 

「反省していたつもりだったんです。

 失敗したと、次はうまくやろうと」

 

 ロキシーの目に、みるみるうちに涙が溜まった。

 

「でも、わたしは反省なんて、できてなかった。

 漠然と、教え方を間違えたと思ってはいましたが、

 王宮という環境がそうさせているのだと、自分を正当化していました」

 

 ロキシーの目から、ポロリと涙がこぼれた。

 

「自分の態度がパックス王子を変えてしまったのだと、気付かなかった。

 先日、彼自身から言われるまで、ずっと、ずっと気付かなかった」

 

 止めどなくポロポロと流れ出る涙に蓋をするように、彼女は膝に顔をうずめた。

 丸く、小さくなった彼女の背中を、俺は撫でた。

 

「パックス王子には、次なんてなかったのに……」

 

 ロキシーはそのまま、泣いた。

 俺は彼女の背中を撫で続けた。

 しばらくそうしていた。

 ただ、嗚咽に震えるロキシーの背中を撫で続けた。

 

 やがて、ロキシーの嗚咽は止まった。

 顔を上げ、真っ赤に充血した目で俺を見た。

 

「ルディ、わたしはこれから、教師を続けてもいいのでしょうか」

「……」

 

 なんと答えるべきか。

 俺にはわからない。

 俺は教師じゃないから。

 ただ、昔彼女に対して言った言葉がある。

 

「先生」

 

 どこかのゲームか漫画からパクってきただけの、上っ面の言葉。

 今でもおためごかしになるかもしれない。

 慰めにしか過ぎないかもしれない。

 ごまかしているだけかもしれない。

 

「先生は、失敗したんじゃなくて、経験を積んだんです」

 

 口先だけでも間違っているとは思わない。

 

「先生が同じ失敗を繰り返さないなら。

 先生の生徒は、みんな俺のように立派に育ち、幸せになります」

「……」

 

 ロキシーは、じっと俺を見ていた。

 青い髪に、青い睫毛。震える小さな唇。

 当時は手が届かないものだったが、今は違うもの。

 

「ルディは、幸せですか?」

「はい、つらい事はありますが、ロキシー先生の教えのお陰で、幸せになれました」

「ルディは……いつも、そう言いますね」

 

 そりゃそうだ。

 本当の事なのだから、日毎に言うことが変わる事はない。

 

「うまく説明できませんが、俺が人生の第一歩を踏み出せたのは、先生が馬に乗せてくれたからです」

「大げさですね……きっと昔の事だから、そういう風に思い込んでいるんですよ」

「確かに大げさかもしれませんが、事ある毎に失敗しながら前へと進んでいくロキシーを思い出し、勇気づけられたのは間違いありません」

 

 真面目にそう言った。

 確かに、ロキシーという教師によって、一人の生徒の人生は狂ったかもしれない。

 ロキシーだけのせいじゃないとか、そういう気休めを言うつもりはない。

 彼女が責任感を感じている以上、彼女の中では、パックスを殺したのは自分なのだ。

 

 でも逆に、ロキシーという教師によって、生かされた生徒だっているのだ。

 俺がそうだ。

 俺を今まで生かしてきた人間はロキシーだけじゃない。

 でも、ロキシーのお陰でもあることは、間違いがない。

 

「今回の事を忘れろ、なんて言うつもりはありません。

 むしろ、忘れない方がいいでしょう。

 でも、同時に、ロキシーに生かされた、俺みたいな人間もいるんだって事も、忘れないでください」

 

 偉そうな事を言っている自覚はある。

 だが、本音だ。

 ロキシーに、教師という生き方を否定はしてほしくない。

 

「……」

 

 ロキシーはぽかんとした顔で俺を見ていた。

 口を半開きにして、赤い目を見開いて。

 何かに気づいたようにふるふると体を震わせて、鼻から鼻水が垂れてきて、慌てたように膝に顔をうずめた。

 

「ルディ」

「はい」

「ララはきっと、私をパックス王子にもう一度あわせようとしたんですね……」

 

 最後の問いの答えはわからない。

 ララにしかわからない。

 俺にとっては違うかもしれない。

 

「……かも、しれませんね」

 

 その後、ロキシーはしばらく泣いた。

 俺はずっと隣にいた。

 

 翌日から、ロキシーは少し元気になった。

 

 

---

 

 

 5日ほど経過した。

 ジェイド将軍は戴冠式を企画しているらしい。

 派手にやるらしいが、この国にそんな余裕はないはずだ。

 でも、頭が変わったと世間にしらしめるのは重要なのだろう。

 

 そんな噂を聞いた頃、ジンジャーと合流できた。

 あの後、彼女も体力を回復させた後、俺たちを追ってカロン砦を出発したらしい。

 やや遅れたのは、馬を途中で乗りつぶしたからだという。

 

 王都の様子を見て、俺達から何があったのかを聞いて、彼女は表情を変えず「そうでしたか」と呟くにとどまった。

 だが、パックスが死んだと聞いて、当然だという顔をしたのは、見逃さなかった。

 彼女はパックスにひどい事をされたのだから、仕方がない。

 仕方がないとわかっていても、やるせない。

 

「それで、ザノバ様はいかがなさるおつもりでしょうか?」

「ふむ」

「やはり……国をお守りになるのでしょうか?」

 

 そう聞いた時、ジンジャーは平静だったと思う。

 パックスは死んだ。

 ザノバの命を脅かす者はいない。

 

 次の王は、ザノバを危険視するかもしれない。

 でも、ジェイドはキレる男だ。

 パックスと違い、ザノバに個人的な恨みは抱いていないはずだ。

 神子の有用性も知っているはずだ。

 危険な事には変わりないが、それでも理詰めで対処できる相手といえる。

 

 けれど、ザノバは力なく首を振った。

 

「いや、魔法都市シャリーアに帰る」

「……ハッ」

 

 ジンジャーは、大仰に頷いた。

 若干、嬉しそうな顔だ。

 ジンジャーはザノバが立派な王族であることを望んでいたと思っていたが……。

 それ以上に、生きていて欲しいのだろう。

 

 俺も正直ほっとした。

 この国にいると、いずれ殺されそうだしな。

 

 そう思いつつ、ザノバの顔を見て、嫌な予感がした。

 

「ジンジャーよ」

 

 ザノバは何やら、決意のこもった顔をしていた。

 シーローン王国へと旅立つ直前の顔だ。

 何かをやらかしそうな、そんな顔だ。

 

「余はな……一旦、国を捨てようと思う」

「国を、捨てる……。

 あ、亡命なさるのですか?

 いい考えだと思います。

 ラノア王国は、ザノバ様を快く受け入れてくれるでしょうし、

 ルーデウス様の口添えがあればアスラ王国でも……」

「いや、亡命ではない」

 

 ザノバはもう一度、首を振った。

 そして、言い聞かせるように、膝をつくジンジャーを見下ろした。

 

「余は王族という身分を捨てようと思うのだ。

 此度の反乱で死んだ事にし、シーローン王国第三王子ザノバ・シーローンではなく、ただのザノバとして、これからの生を全うしようと考えている」

 

 ジンジャーの顔が曇った。

 嫌なのだろうか。

 身分を捨てるってのは、俺にはよくわからん感覚だ。

 捨てるような身分を持ったこともないしな。

 

「……それも、良い考えかと思います」

 

 でも、ジンジャーは否定しなかった。

 シャリーアに住んでいた頃のザノバって、毎日が楽しそうだったし。

 今更シーローン王国に戻った所で、肩身の狭い思いをするだけだろうし。

 他の国に亡命しても、神子という事で利用されるだけだろうし。

 

 それなら、身分を捨てた方が好きな生活はできる。

 王族でないとすると金の方が問題だが……なんだったら俺の方で仕事でも斡旋してやろう。

 魔導鎧の専属メカニックになってもらい、給料を払うという形か、

 それが嫌なら傭兵団で何かしてもらうのでもいいだろう。

 

「うむ。ジンジャーよ、今まで世話になったな」

「ありがたきお言葉……」

 

 ザノバも満足そうに頷いた。

 ジンジャーもほっとした顔で胸をなでおろした。

 

「それでジンジャーよ、お前はこの後、どうするのだ?」

「……無論、今後共にザノバ様にお仕えしようかと」

 

 ジンジャーは当然のように言った。

 だが、ザノバは眉をひそめた。

 

「しかし、そなたは余の親衛隊だったとはいえ、シーローンの騎士。

 余が王族でなくなるのであれば、仕える理由もなくなろう」

「いえ、自分にとってザノバ様が王族かそうでないかは、些細な問題に過ぎません」

「ふむ、だが給金は出せぬぞ? たしかお前は、家族に仕送りもしていたであろう?」

「すでにみな成人し自立しました。もはや養うべき者はおりません」

 

 二人はその後も問答と続けた。

 渋るザノバと、食い下がるジンジャー。

 しかし、段々とザノバの問いに、キレが失われていった。

 

「これ以上、余の所にいれば、婚期を逃すやもしれんぞ?」

 

 ザノバが最後に言ったのが、そんな問いだった。

 婚期って……。

 そういや、ジンジャーって、今なん歳ぐらいなんだろうか。

 この世界の結婚適齢期を考えるに、すでに逃してしまっている気もするが。

 

「結婚など…………!」

 

 そこで、ジンジャーもしびれを切らした。

 ガバッと頭を上げ、両手を広げた。

 膝立ちになる。

 何をするのか……かとおもいきや、ダンと体を地面にたたきつけた。

 五体投地だ。

 シーローン王国では、最大の敬意を示すには五体投地をするのだろうか。

 ザノバもよく、やってたし。

 

「私はミネルヴァ様より直々にザノバ様を頼むと言われた身!

 たとえザノバ様が王族でなくとも、関係ありません!

 護衛ではなく、側女としてでも結構でございます!

 何卒! 私の身の上を思うのであれば、何卒御側に!」

 

 唐突な仕草に俺は戸惑いを隠せなかった。

 ミネルヴァというのは、ザノバの母の名前だろうか……。

 

「ふむ」

 

 ザノバは考えるように顎に手をあて、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 

「ジンジャー、そなたの思いはわかった。面をあげよ」

「…………」

 

 ジンジャーが泣きそうな顔で上半身を持ち上げた。

 

「そこまで言うのであれば、無理に突き放そうとはせぬ。

 しかし、従者としては扱わぬ。

 これからは余の理解者として側にいてくれ、良いな?」

 

 ジンジャーの眼からポロポロと涙がこぼれ落ちた。

 

「ハッ!」

 

 そして、もう一度五体投地へと戻った。

 美しい光景……なのだろうか。

 見える部分だけだと、ちとシュールだ。

 

 ともあれ、ザノバが帰ると決めたのなら、今回の一件は終わりだ。

 一件落着とはお世辞にも言えない。

 何かが解決したわけでもない。

 後味も悪い。

 敗北感と徒労感、ストレスだけが残った。

 

 けど終わりは終わりだ。

 帰ろう。