無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第五十四話「神の不在」

 魔術でカタパルト脱出した後、アイシャはしばらく泣いていた。

 エグエグと泣きながらガタガタと震えて、おしっこまで漏らしていた。

 

 気持ちはわかる。

 俺だって強面の男に腕を掴まれて恫喝されたら、

 漏らしはしないまでも、足をガクガクと震わせてしまうだろう。

 漏らしはしないまでもな。

 

 あの騎士ふたりはどちらかというと紳士的な方だろうが、

 5~6歳の子供には、少々刺激が強いだろう。

 年齢差というのは、小さい頃は顕著に現れる。

 例えば、小中学生にとって、高校生は妙に大人に見えるものだし、

 高校生が道端にでも溜まっていれば、彼らがとっぽい格好をしていなくても、妙に怖いものだ。

 

 まして相手は兵士二人。

 さぞ恐ろしかっただろう。

 

 決して、すぐ近くで両足が折れる音を聞いたせいじゃないと思いたい。

 すぐにヒーリングで治したが、あれは痛かった。

 

 

 

 俺は彼女がおもらしした事には言及せず、

 粛々とパンツを洗濯している。

 

 場所は宿屋である。

 帰ってきた時には、エリスもルイジェルドもいなかった。

 情報収集に赴くと言っていたので、帰るのは恐らく夜になるだろう。

 

 さて、俺はここで、また不思議な体験をしている。

 先ほど、アイシャのダボついた小さなメイド服を脱がせ、

 ぐっしょりと脱がせたパンツを剥ぎ取り、

 彼女の未発達な小文字のIとその周辺を、即席オシボリで拭いてやり、

 俺が普段着としているシャツをきせてやった。

 手元には洗濯用の木桶と石鹸、そして女児用のパンツである。

 

 生前の俺であれば、このシチュエーションとアイテムに興奮状態に陥ったであろう。

 

 考えても見てほしい。

 すぐ近くのベッドに、おもらしをして泣きじゃくり、

 一度全裸に剥かれてから、だぼだぼの俺の服をきせられた幼女がいるのである。

 もちろんノーパンだ。

 紳士なら、誰しもこんな状況におちいれば興奮してしまうだろう。

 

 エリスのパンツを履かせるわけにいかない。

 彼女のパンツにはノータッチ。

 それはこの『デッドエンド』における重要なルールの一つだ。

 いくら非常事態だったとしても、彼女のいない間に荷物をあさりパンツを取り出すなど……。

 考えるだに恐ろしい。

 

 ルールを破るとルイジェルドが助けてくれないし、

 魔眼を使って逃げればエリスは3日ぐらいは不機嫌になる。

 かといって無防備に殴られれば、3日ぐらい飯の味がわからなくなるぐらい顔が変形する。

 まぁ治癒魔術で治すんだが。

 

 ともあれ、心の野獣(ビースト)が遠吠えをしてもおかしくない状況だ。

 

 しかし、そんな状況に置いて、

 俺の心は穏やかな湖面の如く静かであった。

 興奮どころか、波一つ立っていない。

 明鏡止水。

 

 不思議な事だ。

 泣きじゃくるアイシャに「困った子だな」という感情は抱くというのに、

 それ以上の性的な興奮は覚えないのだ。

 知らないうちに聖人男性にでもなってしまったのだろうか。

 それとも、知らぬ間に俺はエリスの逆鱗に触れ、ポケットなモンスターを戦闘不能にされてしまったのだろうか。

 俺はその時の恐怖を忘れるため、記憶に封印を施したのだろうか。

 

 いや、まさか。

 そんな、大丈夫だよね、マイサン?

 

 などと考えていると、あっという間に洗濯が終わった。

 色気のない麻のパンツに、そこそこ高級そうな生地で出来た小さなメイド服。

 それらをアイシャに渡すと、

 いつしか泣き止んでいた彼女は、いそいそと着替え始めた。

 俺はじっとそれを見る。

 

 やはり興奮しない。

 この体は、家族には興奮しないのだろうか。

 生前では老若男女お構いなしだったが……。

 生命とは不思議なものである。

 

 

---

 

 

「私はアイシャ・グレイラットといいます!

 どうもありがとうございました!」

 

 アイシャはだぼついたメイド服姿でペコリと頭を下げた。

 それに合わせて、ポニーテールもピコンと揺れた。

 やはりポニテはいいな。

 エリスもたまにポニテにしているが、

 彼女のポニテは運動部女子という感じだ。

 それはそれでいいのだが、アイシャのとはまた少し趣が違う。

 

 アイシャはお人形さんみたいで大変かわいらしい。

 目が充血しているので呪いの人形みたいだが。

 

 彼女は顔を上げると、ずいっと一歩近づいてきた。

 近い。

 

「ナイトさまに助けてもらわなければ、連れ戻されている所でした!」

 

 ナイトさまという単語を聞いて、

 俺は彼女の前で『影月の騎士(シャドームーンナイト)』と名乗ったことを思い出した。

 背中に一筋の冷や汗が流れた。

 エリスとの会話での事で、ちょっと調子に乗りすぎてしまったかもしれない。

 この歳で痒いものを感じて転げまわったりはしないが……。

 10年後ぐらいに、この事をネタに強請られたりするかもしれない。

 そう考えると、ちょっと後悔。

 

「本当にありがとうございました」

 

 再度、アイシャは深々と頭を下げた。

 彼女、いま何歳だったっけか、6歳かな?

 まだ幼いのに、礼儀正しい子じゃないか。

 

「助けてもらった上、一つ図々しいお願いをしたいのですが!」

「おう」

 

 図々しい、なんて難しい言葉を知ってるんだな。

 パウロの話でアイシャがリーリャから英才教育を受けていたのは知っているが賢いなぁ。

 

「手紙を書く道具をください!

 あと冒険者ギルドの場所を教えてください!

 よろしくおねがいします!」

 

 そう言って、ぺこりと頭を下げた。

 人にものを頼むときはお願いします(ぷりーず)、ができている。

 うん、いい子だ。

 でも、ちょっと考えなしだな。

 

「その二つだけでいいんですか? お金はあるんですか?」

「……お金は無いです!」

「手紙を書く道具も、手紙を届けてもらうのも、

 お金が必要だって、お母さんに教わらなかったのかい?」

 

 小さな頃からお金の大切さを学ばせるのは大事だ。

 リーリャならそのへんも抜かりないかと思ったが、

 物心ついてから数年では、教えられる事と教えられない事、

 理解できる事と出来ない事があるんだろう。

 

「お母さんは、あたしみたいな子が上目遣いで「おとうさんのおてがみおくりたいの」って言えば、

 お金を払わなくても何とかしてくれるって教えてくれました」

 

 あらやだリーリャさんたらお茶目さん。

 自分の娘に何を教えてんだ。

 女としての武器の使い方か?

 そう思うと、この喋り方や仕草も演技っぽく見えてくる。

 いや本当に、何を教えてるんだろうか。

 

「ずっとお父さんに連絡を取ろうとしてるんですけど、

 お城の人がダメって言って、手紙を出させてくれないんです!」

 

 リーリャは抑留されていると聞いている。

 手紙も出させてもらえないらしい。

 もしかして、割りと酷い事になっているんだろうか。

 人神も「助けだす」なんて単語を使っていたからな。

 もしかすると、これはパウロにとって面白くないNTR展開かもしれない。

 

「お父さん以外に……その、他に頼れそうな人はいないんですか?」

「いません!」

「例えばそう、青い髪のお姉さんとか……そう、どこかにいるはずのお兄さんとか」

 

 さりげなくそういうと、アイシャは眉根を寄せた。

 不愉快そうな顔だ。

 なんでだ。

 

「兄はいますけど……」

「いますけど?」

「頼りにはなりません」

 

 なんでや!

 今さっきあんたのことを華麗に助けたやないか!

 

「り、理由を聞いてもいいでしょうか」

「理由! いいですよ!

 お母さんは、兄のことを事細かに話してくれました」

「ほう」

「しかし、どれも信じられない事ばかりです!

 三歳で中級魔術が使えただとか、五歳で水聖級魔術師になっただとか。

 あげくの果てには、七歳で領主の娘の家庭教師ですよ?

 とてもじゃないけど、信じられないです!

 絶対に嘘です!」

 

 信じられないか。

 そうか。

 そうだろうな。

 

「でも、実際に会ってみると、いいお兄ちゃんかもしれませんよ?」

「ありえません!」

「な、なんで?」

「家には、お母さんが大事にしている小箱があるんです。

 触るな、中身を見るなというので、なぜかと聞いたのです。

 なんでも、兄の大切なものなのだからだそうです」

 

 ……小箱?

 さて、そういえばそんな話をパウロから聞いたような気もする。

 

「お母さんがいない時に、こっそり開けてみました。

 すると、中に何が入っていたんだと思いますか!?」

「さ、さあ、なんだろう」

「パンツです。女物のパンツです。それも、サイズ的には結構小さい。

 あたしの計算によると、14歳ぐらいの子のパンツです。

 ありえませんですよ。そんな歳の人なんて、あの家にはいませんでした。

 兄が姉という可能性も考えましたが、ちょっと大きい。

 該当する人物はただ一人。兄の家庭教師だったという、ロキシーという人物です。

 兄は、4、5歳という年齢で、明らかに年上な女性のパンツを後生大事にしていたのです」

 

 計算て。

 ちょ、ちょっとこの子、賢すぎやしませんか?

 え? まだ5歳か6歳ですよね?

 なんか、こんな小さな子からこんな、すごいギャップが、あれぇ?

 

「でも、誤解という可能性もありますよね?」

「いいえ、さりげなく母に裏を取りました。

 兄はそのロキシーという女性の水浴びを覗いたり、

 父と奥方様の情事を覗いたりと、やりたい放題だったみたいです。

 お母様は隠しているようですが、間違いありません。

 兄は紛うことなき変態です!」

 

 変態です!

 変態です!

 変態です!

 紛うことなき変態です!

 もひとつついでに変態です!

 

 もうやめたげてよお、ルーデウスの精神力はゼロよお!

 

「そ、そうか、お兄さんは変態か、

 そりゃ大変だね、ハハハ……」

 

 自業自得とはいえ、なんてこった……。

 まさか、こんな……くそう。

 

 なるほど。

 こういうことか。

 だから人神は名前を名乗るなと言ったのか。

 今、心で理解できたよ。

 さすが人神さんだぜぇ。

 

「ところで、ナイトさん、本当のお名前はなんていうんですか?」

「ナイショです。巷では『デッドエンドの飼主』と呼ばれていますがね」

 

 キリっとした顔で答える。

 お兄ちゃんだと伝えるのは、もう少し後にしたほうがいいだろう。

 変態扱いだしな。

 

「へぇ……カイヌシさんですか。カッコイイですね!

 やっぱり召喚術とか使えるんですか?」

「いいえ、二匹の凶暴な犬を使役できるだけですよ」

「そうなんですか、すごいですね!」

 

 アイシャは目をキラキラさせて俺を見ていた。

 子犬みたいだ。

 しかも騙されている子犬だ。

 ああ、ちょっと心が痛いぜ。

 

 しかし、とりあえず結果オーライだ。

 ここで俺が兄だと明かしていれば、アイシャは俺の言うことを聞かなかったかもしれない。

 だが、この調子なら、カイヌシの言うことなら素直に聞いてくれそうだ。

 

 正体を隠したままリーリャをカッコよく助ける。

 そうすれば、アイシャはカイヌシを尊敬の目で見てくるだろう。

 そして、後で俺がお兄ちゃんだと知れた時に評価が鰻登りという寸法だ。

 

「よし。では僕が君のお母さんを助けだしてきます」

「えっ?」

 

 そう宣言すると、アイシャはポカンとした目で俺をみていた。

 

「で、でも」

「任せてください」

 

 こうして、俺はアイシャと出会った。

 最悪な印象を持たれているようだが、目の前で父親をぶん殴ったノルンほどではない。

 ロキシーのパンツを持っていた事を変態などと言っていたが、

 何、彼女にもいずれわかる日が来る。

 人には縋るべき物が必要なときもあるんだってな。

 

 しかし、この歳でパンツ=変態という認識があるのか。

 性的な欲求と下着を結びつけるような年齢ではないし、

 そもそも性欲というものを理解しているのかどうかも怪しい年齢だというのに……。

 誰かに何かを吹きこまれたのかな?

 

 うちの妹に変なことを教える奴にはキツイお仕置きをしてやらないといけないな。

 

「ところでカイヌシさん」

「なんですか?」

「なんで私の名前、知ってたんですか!?」

 

 その後、俺の必死な言い訳が始まったが、それは割愛しよう。

 

 

 

---

 

 

 それから、しばらくアイシャと話をした。

 ここ2年ほどの話だ。

 

 アイシャからは、ここ2年の事を聞かせてもらった。

 舌足らずで、説明不足だったが、大体の事は把握できた。

 

 なんでも、彼女らはこの国の王宮に転移したらしい。

 当然不審者として捕まったが、リーリャがあれこれと話をした結果、

 王宮に軟禁される下りとなったそうだ。

 その前後関係については、アイシャは理解できていないようだったが、

 手紙すら出させて貰えないのには、何かしら理由があるらしい。

 

 リーリャも酷い事はされていないようだ。

 体が目当てというわけではないらしい。

 もっとも、アイシャが知らないだけで、夜な夜な何かされている可能性もある。

 もっともリーリャはいい歳だし(パウロより年上だそうだし三十代中盤か)、

 王宮に住む人物がわざわざ監禁して手篭めにするような美貌というわけでもない。

 

 怪しい人物である事には変わりないから、抑留されているのか……。

 それにしては、少々おかしな部分もある。

 転移から二年半。

 ずっと誤解を解くことができず、抑留されっぱなしだったのだろうか。

 

 俺の知らない何らかの事情が関与しているのかもしれない。

 

 そういえば、ロキシーの名前は出て来なかった。

 彼女はリーリャを助けてはくれなかったのだろうか。

 ……いや、助けてくれたからこそ、今の状況に陥ってる可能性もある。

 

 何はともあれ、今はロキシーの返信待ちだ。

 彼女から事情を聞けば、パズルのピースがハマるように、全ての疑問が氷解するだろう。

 

 ちなみに、アイシャはそんな状況において、パウロに助けを求める手紙を出そうとしたそうだ。

 しかし道に迷い、冒険者っぽい格好の人間を追いかければギルドにいけると考えたんだと。

 それが偶然にも俺だったと。

 

 偶然って怖いね。

 まぁ人神の思い通りなんだろうけど。

 

 

---

 

 

 アイシャは俺の事を聞きたがった。

 

「へぇー、カイヌシさんは魔大陸から旅してきたんですね」

「ああ、フィットア領の転移事件に巻き込まれましてね」

「その前は何をしていたんですか?」

「家庭教師ですよ。貴族のお嬢さんに魔術を教える」

「そうなんですか、どこで教えていたんですか?」

「ロアですよ」

「へぇ、じゃあうちの兄と一緒ですね!

 もしかしたら町中でスレ違ったりしてたかもしれませんね!」

「そ、そうですね、その可能性も微粒子レベルで存在するかな……」

 

 話し方も歳相応とは思えない。

 あえて大人っぽく振舞っているのかもしれないが。

 

 それにしても、アイシャはリーリャから色んな事を学んでいるようだ。

 一般常識や礼儀作法、生活で役立つ知恵、メイドの極意、エトセトラ。

 この幼さで理解できるのかと俺ですら不思議に思うのだが、

 少なくとも、俺に理解できる程度には説明できるようだ。

 賢いのだ、この子は。マジで。

 

 小さなころから、教えられたことをスポンジのように吸収できる力がある。

 将来的にはどうなるだろうか。

 俺には、兄としての威厳が保てるのだろうか。

 

「貴族のお嬢さんってことは、うちの兄の雇い主とも接点があったかもしれませんし、

 聞いた事はありませんか?」

「い、いや、寡聞にして、そのような人物の事は……」

「そうですかー。カイヌシさんから見た兄の印象を聞いておきたかったんですが」

「ええと、領主様の所のお嬢様が乱暴で手に負えないという噂しか聞いたことはないですね」

 

 ここで自分の情報を流したい気持ちが芽生えたが、グッと我慢。

 どのみち後でバレるんだ。

 その時に自作自演したなんて知られたら評価が下がるだろうからな。

 

 その後、魔大陸の事をあれこれと聞かれたので、詳しく話した。

 この年齢の子と何を話せばいいかと思っていたのだが、

 不思議と話題は付きなかった。

 アイシャの会話能力が高いせいかもしれない。

 

 そう思いつつ、

 俺は純粋に、ほぼ初めての対面となる妹との会話を楽しんだ。

 

 

 しばらくした後、アイシャは疲れたのか眠ってしまった。

 

 

 エリスとルイジェルドは日が落ちきってから戻ってきた。

 若干疲れた表情をした二人に事情を聞いてみると、

 裏町の方まで情報収集に出かけたら、色々あって喧嘩になったらしい。

 

 また喧嘩だそうだ。

 申し訳なさそうにする二人。

 まあ、いつものことだ。詳しくは聞くまい。

 誰にだって失敗はする、俺だってする、何かあったら助け合えばいい。

 

 俺は町中でアイシャと出会ったことと、リーリャが城に捕らわれている事を話した。

 どうやら色々キナ臭いらしいと。

 あとついでに、名前を伏せている事も話しておく。

 特にアイシャには俺の正体がルーデウスだと知られないようにと念を押す。

 

「どうしてそんな回りくどい事をするのよ?」

「どうやら、兄に対して間違った知識を教えこまれているようなので、

 カッコいい所を見せて、その認識を正そうかと」

「ふーん、私はそのままでもカッコイイと思うけど?」

「エリス……」

 

 嬉しい事言ってくれるじゃないのと『いい男』な笑みを浮かべる。

 するとエリスはたじろいで一歩後ろに下がった。

 

「うっ……どうして褒めるとそういうニチャっとした顔するのよ!」

 

 僕のキメ顔はニチャっとした顔らしい。

 ちょっとショック。

 誰か新しい顔をください。

 

「でも、そういう事なら今から襲撃ね!」

「城攻めは久しぶりだな……」

 

 エリスがやる気満々でそんな事を言い出した。

 ルイジェルドまで槍を持ち上げている。

 俺は慌てて二人を止めた。

 

「いえ、とりあえずはロキシーの返事を待ちましょう」

 

 と言うと、エリスはつまらなさそうな顔をした。

 相変わらず、彼女は暴れるのがお好きなようだ。

 

 難しく考えるより、城に襲撃してリーリャを攫った方が確かに簡単だろうが、

 それでロキシーに迷惑をかけたら目も当てられないからな。

 まずは細かい状況を確認しなくては。

 

 けっしてロキシーに会いたいからとかいう理由ではないですよ。

 

 などと考えつつ、その日が終わった。

 

 

---

 

 

 翌日。

 

 そろそろ昼時という時刻。

 宿に兵士がやってきた。

 昨日アイシャを捕まえようとしていたのと同じ格好をした兵士だ。

 

 念のためアイシャを部屋に残し、宿のロビーにて対応した。

 ルイジェルドとエリスには念のため部屋にいてもらった。

 

「ルーデウス殿でございますか?」

「はい」

「自分はシーローン第七皇子親衛隊に所属しているジンジャー・ヨークと申します」

「これはどうもご丁寧に。ルーデウス・グレイラットです」

 

 兵士は一人で、女だった。

 彼女は俺の顔を見ても、顔色一つ変えず、騎士風の挨拶で一礼した。

 俺も貴族風の挨拶にて返礼する。

 どういった挨拶を返せばいいのかは実はわかってないのだが、

 とにかく誠意が伝われば大丈夫だろう。

 

「ロキシー殿がお呼びです、王宮までご同行願えますか?」

 

 どう見ても子供にしか見えないであろう俺に対し、随分と丁寧な物腰だった。

 特に顔を隠してはいなかったのだが、面は割れていないらしい。

 

 しかし、王子の親衛隊か。

 なぜ親衛隊が、と思わなくもないが、

 ロキシーは王子の家庭教師をしているという話だ。

 なら、別におかしくはないか。

 

「………」

 

 同行しろと言われ、迷う。

 アイシャをどうするべきか。

 アイシャを連れて行けば、騎士に攻撃した事がバレるだろう。

 やはり、岩砲弾を放ったのは失敗だったかもしれない。

 

 ……よし、ここは、アイシャには留守番をしていてもらおう。

 ロキシーに緩衝材になってもらって話をつけた上で、きちんと謝罪すればいいはずだ。

 

 俺はそう決めると、アイシャに絶対に部屋から出るなと伝え、

 エリスとルイジェルドに彼女の護衛を頼んでおいた。

 

 そして、ロキシーに合うための身だしなみチェック。

 髪の乱れはないか、服装はいつものローブでいいだろう。

 あ、そうだ、菓子折りとかも必要だろうか。

 この世界では、ご無沙汰していた師匠に会う時に何を持っていけばいいのか。

 

 と、そこで道具袋の端に、不人気ナンバーワンのルイジェルド人形を発見。

 そういえば、以前手紙でロキシー人形が本人の所に届いたって書いてあった。

 この人形を見せて、実は俺の作品でしたー、ってのも面白いかもしれない。

 

「随分と念入りね」

「久しぶりに師匠と会いますからね」

「……ちゃんと紹介してくれるのよね?」

「ええ、もちろん」

 

 エリスとそんなやり取りをしつつ、準備完了。

 

「一人で大丈夫なのか?」

 

 ルイジェルドのやや心配そうな声。

 俺も一人になると問題を起こす事が多いからな。

 心配する気持ちはわかる。

 

「問題ありません。何かあったら飛んで逃げてきますので」

 

 ばびゅーんとね。

 

「カイヌシさん……」

「大丈夫です。任せておいてください」

 

 不安そうなアイシャの頭をポンポンと撫でると、

 彼女は口元をキュっと結んで、頷いた。

 よし、いい子だ。

 

 

---

 

 

 兵士ジンジャーに連れられ、王宮への道を歩く。

 馬車の行き交う大通りの隅を二人で、やや足早に。

 大通りは曲がりくねっていて、時折馬車がすれ違えないほど狭い通路がある。

 敵国に攻められた時の対策なのだろう。

 生前の日本でも、美濃地方の町はこうして曲がりくねっていたと聞き及んでいる。

 

「……」

 

 ジンジャーは寡黙な人物のようで、余計な事は一切喋らなかった。

 ただ、何かを聞けば口を開いてくれたし、物腰は常に丁寧だった。

 

「よーし、次はこいつだ!

 こいつは元ワシャワ国の騎士! 戦闘用の奴隷だ!

 ちとばかし生意気だが、腕は立つ! 金貨3枚からだ!」

 

 ふと、そんな威勢のいい声が聞こえたので、そちらを見てみる。

 

 大通りに面した場所に、奴隷市場があった。

 お立ち台のような一際高い台の上に、奴隷が並んでいる。

 人族が三人と、ウザギの耳をした獣族が一人。

 男二人、女二人。

 男も女も上半身は裸で、遠目からでも肌がテカっているのが見えた。

 見栄えを良くするため、油が塗られているのかもしれない。

 

 あの獣族は、大森林から連れ去られてきたのだろうか。

 助ける余裕も義理も無いとはいえ、少々眉根が寄ってしまう。

 顔は眉根を寄せつつも、彼女の胸を見ていると股間の方が少々反応してしまう。

 アイシャに反応しなかったので不思議に思っていたが、

 やはり俺もまだまだ現役のようだ。

 

 奴隷の脇に立った商人があれこれと説明しているのが聞こえてくる。

 内容は聞き取れなかったが、おおかた奴隷の出自や能力といったセールスポイントを上げているのだろう。

 しばらくして、聴衆の方から声が上がり始める。

 オークション方式なのだ。

 

 リーリャやアイシャも、運が悪ければあそこに並べられていたのかもしれない。

 そう考えれば、今の状況は決して悪いものではないと言えよう。

 ……いや、結局のところ、リーリャが今どんな状況かわからないので、

 なんとも言えないのだが。

 

 ふと見ると、ジンジャーは奴隷市場を見て眉をひそめていた。

 彼女はこの国の治安を守る者だ。

 ああいう事を堂々とされるのは気に障るのかもしれない。

 

「奴隷市場というのは、もっと町の奥の方にあると思っていました」

 

 そんな言葉を投げかける。

 これも話題の一つだろうと思ってのことだ。

 

 他の町では奴隷市場というのは、もっと奥まった所にあった。

 この世界では別に奴隷自体は悪い事ではないそうだが、

 大通りに面した所でやっているのを見たのはこれが初めてだ。

 

「そうですね、ああした競りも、いつもはもっと奥の方で行われています」

 

 憎々しげに何かを言うかと思えばジンジャーは平坦な声音で返してきた。

 

「今日は何かイベントデーだったりするんですかね」

「いいえ。先日、元々奴隷市場があるあたりで冒険者同士の喧嘩があったそうです。

 それで市場が使用できなくなったので、一時的にこちらに奴隷市場を移しました」

 

 喧嘩か……。

 喧嘩、ね。

 奴隷市場で喧嘩。

 エリスとルイジェルドが起こしてきた喧嘩。

 つながりがありそうな気がしてならない。

 嫌な予感しかしないな。

 

 そう思い、って奴隷市場の方を見ていると、

 

「どうぞ」

 

 ジンジャーは俺の脇を掴み、よく見えるように持ち上げてくれた。

 

「あ、どうも」

 

 よく気がつく人だ。

 顔は平凡で、決して美女という感じではないが、

 細かい所に気がつくなら、きっといいお婿さんを貰えるだろう。

 

「ロキシー殿も、人混みがあるとピョンピョンと飛び跳ねていました」

「そうなんですか」

「はい、しかしこうして持ち上げると複雑そうな顔をされました」

 

 その光景が目に浮かぶ。

 よく見えませんね、などといいつつピョンピョンと飛び跳ねるロキシー。

 それを見かねて善意で持ち上げる兵士。

 憮然として下ろしてくださいと言うロキシー。

 

「ロキシー先生を持ち上げた事があるんですか?」

「はい、すぐに降ろせと怒られましたが」

 

 やはりか。

 

「どこを掴んで、ですか?」

「どこと言われても、今のようにですが」

 

 今の俺は、ちょうど脇の下辺りを持たれて、持ち上げられている。

 

「どんな感じでしたか?」

「ですから、複雑そうな顔をしてすぐに降ろせと」

 

 俺が聞きたいのは、ロキシーの脇の下の感触についてなのだが……。

 まあいい。

 

「下ろしてください」

 

 ざっと見た所、特に面白いものもなかった。

 これから売られるであろう奴隷が鉄格子の中にいるだけだ。

 

 なのでさっさと下ろしてもらい、王宮へと足を向ける。

 ふと思ったのだが、普通は王宮への迎えって馬車じゃないんだろうか。

 まあいいか。

 

「ロキシー先生は、王宮ではどんな事をしているんですか?」

 

 共通の話題を見つけたと思った俺は、ジンジャーにそう訪ねてみる。

 

「普段は王子に勉強を教えていましたが、

 暇なときは我々兵士の演習に参加していました」

 

 そういえば、ロアにいた頃にロキシーから送られてきた手紙にも、そんな事が書いて合った気がする。

 

「確か、魔術師との戦いを想定した演習を行なっていた、という話でしたか?」

 

 手紙によると、乱戦の最中にロキシーが魔術を放ち、それを受け流すという訓練だ。

 咄嗟に意識の外から放たれる魔術を受け流せるようになれば、

 戦場で九死に一生を得ることも難しくないのだとか。

 

「そのとおりです。我々は皆、水神流の中級剣士なのですが、

 ロキシー殿のおかげで咄嗟に魔術を掛けられても剣で受け流せるまでになりました」

 

 なるほど、だから昨日の騎士は俺の岩砲弾を受け流せたのか。

 木っ端な騎士にまで受け流されてちょっとショックだったが、ロキシーの教えの結果なら納得だ。

 

 それから、しばらくジンジャーとロキシーについて話をした。

 魔術の授業中にじゅうたんを焦がして真っ青になったロキシーを見て兵士みんなでほっこりした事やら、

 食事に出てきたピーマンを、ロキシーが真っ青な顔でかまずに飲み込んでいた事やら。

 

「ルーデウス殿の話も聞き及んでいます」

「ほう。な、なんて言ってました?」

「若くして無詠唱で魔術を操る天才だと」

「先生がそんなことを?」

「ロキシー殿はよく自慢していました。あの子は本当なら私が教えられるような存在ではなかった、と」

「でへへ、それはいいすぎですよ」

 

 そんな会話をしているうちに、城へとたどり着いた。

 なかなかに大きな城だが、リカリスのキシリス城やミリシオンのホワイトパレスほどではない。

 エリスの実家と同じぐらいの大きさである。

 要するに、アスラの辺境領土とこの国は同じぐらいという事だ。

 さすがアスラ王国はすごいね。

 

「……」

「お勤めご苦労様です!」

 

 ジンジャーが門番に軽く会釈すると、門番が直立不動になった。

 そういえば、彼女は親衛隊とか言ってたか?

 偉いのだろうか。

 

「こちらです」

 

 そのまま真っすぐ進もうとすると、ジンジャーは横へとそれた。

 城の回りをぐるりと回り、勝手口のような所から中へと入る。

 

「申し訳ありません。正面門は兵士の出入りは出来ないのです」

「そうですか」

 

 勝手口の中は、兵士の詰所のような場所だった。

 部屋の隅に長机が二つ並び、数名の兵士が座って、カードのようなものに興じていた。

 彼らはジンジャーを見るとすぐに立ち上がり、直立不動の姿勢をとった。

 

「……」

「お勤めご苦労様です!」

 

 ジンジャーは会釈を一つして、部屋の奥へと入っていく。

 俺は彼らを横目で見ながら、彼女に続く。

 

「ジンジャーさんは、偉い人なんですね」

「兵士の中では12番目です」

 

 12番目、それが高いのか低いのか判別しにくいが……。

 この国の兵士とて、何百といるだろうし、そう考えると、それなりに高い地位にいるのだろうか。

 低くはないだろうな。

 

「こちらです」

 

 ジンジャーはどんどん奥へと入っていく。

 その足取りは、やや慎重になったように思う。

 時折すれ違う人に対しては足を止め、騎士風の挨拶を送る。

 俺もそれにならって貴族風挨拶でこんにちわ。

 

 弟子の教育がなってないとロキシーが言われたらたまらんからな。

 

 貴族風の人たちは、人によって会釈を返したり、

 眼中にありませんとばかりに無視して通り過ぎたりだ。

 エリスの実家とは大きく違う。

 あそこでは、基本的に廊下での挨拶はなかったからな。

 

 ロキシーはこんな所で働いていて、息が詰まったりしないのだろうか。

 こうした挨拶も慣れれば気にならないのだろうか。

 

 一階には3箇所ほど階段があった。

 構造がエリスの実家に似ている。

 一気に攻め込まれないための工夫がされているのだろう。

 だが、普段生活する分には不便に違いない。

 

 ジンジャーは廊下の突き当りにて足を止めた。

 ここがロキシーの部屋なのだろうか。

 随分と閑散とした場所だ。

 でも、ロキシーらしいと言える。

 

 ジンジャーは立ち止まり。

 ふと俺の格好を見て、手を出す。

 

「杖と荷物をお預かりします」

「あ、はい」

 

 ドアボーイの真似までしてくれるとは、親切だな。

 

 ジンジャーは俺の荷物を受け取ると、コンコンとノック。

 

「ジンジャーです。ルーデウス殿をお連れしました」

「入れ」

 

 返事は男の声だった。

 

(ん?)

 

 何かを疑問に思いつつも、ジンジャーはすぐに扉を開け、

 俺に中に入るように手で示す。

 俺は示されたまま、部屋の中に入る。

 

「ほう……こいつがルーデウスか」

「もごっ!?」

 

 そこには、偉そうに座った男がいた。

 小さい樽みたいな男だ。

 その両脇には、二人のメイドの姿。

 

 男は偉そうにふんぞり返っているが、背がやけに小さい。

 背だけでなく、手足も短い。

 小人族と炭鉱族を合わせたような感じがする。

 だが、顔だけはやけにでかく、人族の成人男性のものだった。

 その顔も、第一印象だけで言うなら、醜い。

 俺にとっては親近感を覚える類の顔である。

 

 見覚えのない方をメイドAとしよう。

 二十代後半ぐらいで、胸のサイズは普通、筋肉は無い。普通の女子だ。

 

 メイドBはリーリャにそっくりな顔をしている。

 ていうか、リーリャだった。

 五年も経つと少々老けたように見えるが、

 お肌の曲がり角な時期が重なっていた事に加え、 

 転移などというものに巻き込まれたのだから、仕方ないだろう。

 

 そして、彼女は椅子に座らされていた。

 椅子ごとロープでぐるぐる巻きにされ、口には猿轡。

 

 ロキシーの姿はどこにもない。

 

「これはどういう事で……」

 

 俺は、混乱しつつも、落ち着いて話を聞こうと思った。

 ここにはロキシーがいるはずだと思っていた。

 

 あ、そうか。罠か。

 

「落とせ」

 

 男の言葉と同時に、俺は魔眼を開眼する。

 一秒先の未来は、下にずれていた。

 

 俺は落ちていた。

 

 

---

 

 

 気づけば、俺は魔法陣の中にいた。

 合図と同時に足元の床が崩され、落とし穴のように落とされた。

 そうわかるのに、数秒の時間を要した。

 

 小さな部屋だ。

 六畳間ぐらいだろうか。

 地面には魔法陣が描かれており、ぼんやりと光を放っている。

 

 だが、俺はすぐに土魔術を使った。

 自分の身体をエレベーターの如く上へと持ち上げようとする。

 

「…………あれ?」

 

 しかし、魔術が発動しない。

 もう一度、少し強めに魔力を込めて、足元に土柱を発生させようとする。

 おかしい。

 魔力は確かに出ているはずなのに、土柱が発生しない。

 

 いや、おかしくはない。

 周囲を囲むこの魔法陣。

 これのせいだろう。

 なんらかの結界になっているのだ。

 

「結界……か」

 

 魔法陣の縁の方に向かって手を伸ばしてみると、壁のようなものに触った。

 ドンと殴りつけてみるが、ビクともしない。

 

「ギャハハハハ! 無駄だ! 無駄だ!

 その魔法陣はロキシーを捕まえるために作らせた王級の結界だ!

 お前ごときではどうしようもないわ!」

 

 先ほどの丸っこい男が階段を降りてきた。

 そして、俺の前で立ち止まると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべつつ、

 勝ち誇った感じでふんぞり返っている。

 

「あなたは?」

「余の名はパックス。パックス・シーローンだ!」

 

 パックス。

 ああ、第七王子か。

 

 それにしても、この男。

 魔術の使えなくなる結界にロキシーを捕らえて、一体何をするつもりだったのだろうか。

 いや、手紙には俺に似ていると書いてあった。

 俺は紳士的な男だ。

 なら、きっと紳士的な振る舞いをするに違いない。

 くそっ。どんな紳士的な狼藉を働くつもりだったんだこいつは。

 

「くくく、いい顔だな。ルーデウス・グレイラット」

 

 俺の悔しげな顔をみたのか、男はニヤニヤと笑う。

 俺はポーカーフェイスを作りつつ、深呼吸する。

 落ち着け。

 こういう状況でこそ落ち着くんだ。

 

「僕は罠にハメられたわけですか。

 わかりました。昨日兵士さんを攻撃したことは正式に謝罪しましょう。

 そのまえに、まずはロキシーを呼んで下さい。

 僕は彼女の元生徒です、身元の証明をしてもらいます。

 それから、弁護士を呼んでもらい、正式な裁判の後――」

「ロキシーはいない」

 

 ロキシーがいない。

 

「なん……だと……」

 

 その言葉に、俺は自分でも驚くほど衝撃を受けた。

 

 ロキシーがいない。

 それはつまり神の不在を意味する。

 神はいないのか。

 いや、そんな馬鹿な。

 かの偉大なる数学者オイラーも神は存在すると言っていたではないか。

 エカチェリーナ二世の命を受け、見事に神の存在を証明してみせたではないか。

 

 神はいる。

 俺もまた、神の存在は身を持って証明する事ができる。

 

「いや、神はいます」

「……なに? 神?」

 

 パックスはポカンとした顔になった。

 

 そうさ。

 神はいる。

 間違いなくな。

 いないというなら宗教戦争だ。

 ミリス教団だかなんだか知らんが、死にたい奴からかかってこい。

 勝てそうな奴だけ相手になってやる。

 

「ふん、神に祈るか。正しい選択だな。

 こんな状況ではもはや助かる事もないだろうからな」

「そうですね」

 

 さて、落ち着いてきた事だし冗談はそろそろ終わりにしよう。

 

「それで、先ほどの発言はこの国にロキシーがいないということでよろしいのですか?」

「そうだ! お前はロキシーをおびき寄せるための餌になるのだ!」

「ロキシーにパックリと咥えてもらうなら、それは本望ですが……」

 

 適当に返事をしつつ、考える。

 

 つまりあれか。

 ロキシーはこの国にいなくて。

 この人はロキシーを捕らえようとしている。

 なんでだ?

 何かをやらかしてロキシーが出奔したってことか?

 

 考える俺に、パックスは次の言葉を言い放った。

 

「手紙を見て驚いたぞ。まさか、ロキシーの恋人がこの国にきていようとはな!」

「えっ! ロキシーに恋人がいるんですか!」

 

 まじで!

 いつのまに。手紙にはそんなことは書いていなかったのに……。

 

「む? 貴様は違うのか?」

 

 あ、俺がロキシーの恋人に間違われていたのか。

 

「滅相もない! そんな恐れ多い! 至る所の一切無い不肖の弟子でございます!」

 

 俺はブンブンと首を振った。

 本当は嬉しさの余り、クネクネしたい。

 トナカイの珍獣のようにクネクネしたい。

 メタルモンスターの中の人のようにクネクネしたい。

 しかし、ぐっと我慢。

 

「ふん、恋人でなくとも、弟子ならばロキシーは来る」

「来るでしょうか」

「来るとも。リーリャでは餌として弱かったようだが、

 あれだけ褒めちぎっていたお前なら、ロキシーは来る!

 そして、来た時がロキシーの女としての最後だ。

 余の性奴隷として一生飼ってやる。五人は世継ぎを産ませてやる」

 

 性奴隷とは。

 興奮することを言いやがって。

 世継ぎってお前第七王子だろ、政権取れるのか?

 しかし。

 一つ疑問が。

 

「あの。一ついいですか?」

「なんだ、おお、そうだ。最初の1回はお前の目の前で犯してやろう!

 そして、お前の首をたたき落とした後、絶望の顔に染まるロキシーと2回目だ!」

 

 随分と妄想たくましいな。

 

「僕はここに来るまで、リーリャの情報を一切聞かなかったのですが……。

 その、どうやってロキシーは僕が捕らわれている事を感知できるのでしょうか」

 

 パックスはピタリと止まった。

 

「ふん、優秀なロキシーならば、どこからか聞きつけてくる!」

 

 なるほど、ロキシーは優秀だからな。

 俺が見つけられなかった情報でも見つけられるかもしれない。

 けど、その確率は低いだろう。

 

「その、せめて情報を流すとか、そういうことをした方がいいのではないでしょうか」

 

 ロキシーが犯されてほしいわけではない。

 ないのだが、せめてそうしてくれれば、

 あるいはパウロがもうちょっと早くリーリャの事を知れたかもしれない。

 そう思った。

 

「ふん、その手には乗らんぞ!

 貴様らはアスラの上級貴族の庇護下にあるのだろう!

 リーリャやお前を捕らえた事を知られれば、ボレアスとかいうのが敵に回るのだろう?」

「まわる……のかな?」

 

 んん?

 なにかおかしいな。

 まあ、俺が捕らえられたと知れれば、

 あるいはサウロス爺さんなら助けてくれるかもしれないが……。

 でもなんでリーリャが関係してるんだ?

 

「リーリャも何度も手紙を出そうとしていたからな!

 誰が助けなど呼ばせるものか!」

 

 なぜ助けを呼ばせずにターゲットだけが釣れると思うのか。

 ああそうか。

 こいつ馬鹿なのか。

 

「いや、情報も流さない、助けも呼ばせないだと、誰もこないと思うのですが」

「フン! 現にお前はノコノコと現れたではないか!」

 

 確かに!

 いやいや、その理屈はおかしい。

 

「大体、情報などロキシーに直接渡せばいいのだ!」

「渡せたんですか?」

「2年探し続けているが見つからん! だが、いずれ見つかるだろう! あの女は目立つからな!」

 

 目立つからって見つかるとは限らんと思うんだが……。

 

 おかしいな、手紙には俺に似て優秀だって書いてあった気がしたんだが……。

 それとも、もしかして、ロキシーの俺への評価ってこんなもんなのか?

 だとしたら凹む。

 

「ふふん、どうやら諦めたようだな。

 無詠唱魔術だかなんだか知らんが、

 所詮余の権力には勝てんということだ」

 

 ふん、絶対に権力なんかに負けないんだから。キッ!

 

「おお、いい目だ。ゾクゾクするな。

 最後までその目をしていてくれよ?

 ああ、楽しみだ、楽しみだ。

 ロキシー、早くこないかなぁ……」

 

 パックスはそう言いながら、階段を登っていった。

 来るわけねえだろ……。

 

---

「おい、誰がリーリャの猿轡をはずせと言った?」

「申し訳ありません、一言ぐらい話すかと思いまして」

「余計なことをするな!」

「お願いします殿下、私ならなんでもしますので、ルーデウス様だけは……!」

「うるさい、余は年増には用は無いのだ!」

「ああっ!」

---

 

 階上からそんな声と共に、パンと乾いた音が響いた。

 天井が開いているので丸聞こえなのか。

 

---

「それにしても、アイシャはまだ見つからんのか!」

「現在捜索中です、殿下!」

「くっ、攫った奴の特徴は!?」

---

 

 パックスの苛立つ声が聞こえてくる。

 どうやら、昨日の事を話しているようだ。

 しかしさて、困ったな。

 俺も顔は隠していなかったし、すぐにバレそうだ。

 宿の場所は手紙に書いてあったし……。

 宿にはルイジェルドとエリスがいる。

 ルイジェルドなら、ルイジェルドならなんとかしてくれるはずだ。

 オフェンスに定評のあるエリスもいることだし。

 

---

「報告によると、シャドームーンナイトと名乗る、

 筋骨隆々とした大男だそうです。

 高笑いをしながら屋根を飛び回る変態だと」

「そんな目立つやつがなぜ捕まえられんのだ!

 クソッ、どいつもこいつも役立たずめ!」

「ハッ、申し訳ありません」

---

 

 おおい!

 兵士、兵士さん、ちゃんと報告しようぜ!

 いや、でも実際の所、善意なのかもしれないな。

 善意でアイシャを逃がそうとしてくれているのかもしれない。

 よさそうな人だったしな。

 グッジョブ兵士(ソルジャー)。

 

---

「ですが、手紙はすでに破り捨てたと報告にございます」

「手紙など何度でも書けるだろうが!」

「子供の手紙では上級貴族も動きますまい、放って置かれては?」

「ダメだダメだ! 探せ、家族がどうなってもいいのか!」

「……クッ! 直ちに捜索隊を出します」

---

 

 バタバタと走る音。

 ジンジャーは家族を人質に取られているのか。

 

---

「ふん、リーリャはいつもの所に放り込んでおけ!」

「ハッ!」

「ルーデウス様! 必ず助けに!」

「黙れ! 行かせるわけがなかろうが!」

「ああっ!」

「ふん、お前もロキシーを知っているのだったな。

 あの小生意気な女魔術師の前で首を刎ねてやる!」

---

 

 バシンと乾いた音。

 何かかがズルズルと引きずられる音が聞こえる。

 

---

「ふん、ルーデウス! 聞こえるか!

 貴様は絶対に出してやらんからな!」

---

 

 そんな声に上を見る。

 パックスのいやらしい笑みが見えた。

 彼は俺に一瞥をくれると、穴から見えない位置に移動する。

 しばらくして、俺の落ちてきた穴に、バタンと何かが乗せられた。

 蓋をされたのだ。

 

 シンと静寂だけが残った。

 周囲は魔法陣の明かりでボンヤリと光っている。

 

「ふぅ……」

 

 なんか呆然としてしまったな。

 リーリャが殴られ、怒るべき所なのだろうが、

 不思議と怒りが湧いてこない。

 今のやり取りが、あまりに喜劇じみていたからだろうか。

 それとも、すでに人神にリーリャが助かることを聞かされているからだろうか。

 

 あるいは、歪んでいるとはいえ、彼がロキシーを求めているからだろうか。

 俺だってロキシーに見捨てられていれば、彼のようになっていたかもしれない。

 

 いや、違うな。

 少し似てるからだ、生前の俺に。

 だから怒りというより、戸惑いの方が大きいのだろう。

 まあ、事が終わったら落とし前はきっちり付けさせてもらおう。

 

「さて……」

 

 大まかな状況はわかった。

 要するに、リーリャはパックスに捕まっていたわけだ。

 拘留する名目はなんでもいいだろう。他国のスパイとか。

 で、話を聞いているうちに、どうやらロキシーの関係者であると考えた王子は、一計企む。

 リーリャを餌に、ロキシーに連絡を取り、おびき出そうとした。

 グレイラットという名前が怖いから、あくまで極秘裏に。

 まあ、アスラ王国に見つかってもリーリャは所詮パウロのメイドだし、いくらでももみ消せるだろう。

 

 ロキシーは見つからず、リーリャは長いこと抑留するハメになる。

 パウロに助けを求めるリーリャだが、当然ながら王子はそれを許さない。

 そんな状況で、アイシャは城を脱出、手紙を届けようとしたが失敗。手紙は破かれてしまう。

 不思議なのはその後、なぜか兵士は彼女の動きを助長する報告をしている事だ。

 単に王子が嫌いなのか、それとも何か別の理由があるのか……。

 ジンジャーは人質を取られているようだし、他の兵士も似たような感じになってるのかもしれない。

 

 そんな状況の中、まんまと俺が蜘蛛の巣に掛かったわけだが、

 人神はロキシーに手紙を出せと言ったわけだし、

 こうやって俺が捕まるのは、想定の範囲内という所か。

 慌てることはない。

 今の所は指示通りにやれている。

 

 しかしさて、この後どうするか、だな。

 おそらく、今この瞬間にも裏で何らかの事態が動いているのだろう。

 

 なら、今回も何もしないでもいいのかもしれない。

 ここでじっとしていれば、何らかの動きがあり、

 それに応対して動けば、全てがうまくいくはずだ。

 

 …………いや、まて。

 

 俺は本当に指示通りやれていたのか?

 

 例えば、兵士には影月の騎士(シャドームーンナイト)と名乗った。

 人神の助言はアイシャに『デッドエンドの飼主』と名乗ればいいのだと思った。

 だが、本当は兵士にも飼主と名乗らなければいけなかったのではないか?

 

 それだけじゃない。

 手紙だってそうだ。

 てっきり、本名を『名乗らなければいい』と思っていたが、

 手紙の差出人にルーデウスと書かなければ、こうなる事はなかったんじゃないのか?

 ただのロキシーの知り合いとして王子と対面すれば、

 もう少し穏便に話を進められたはずじゃないのか?

 

 まずい、なんか失敗した気がしてきた。

 いや、まだ、まだ大丈夫だよな?

 これぐらいは想定内だよな?

 

 心配だ……。

 とりあえず、こっそりと脱出ルートだけ確保しておくことにするか。