無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第百四十七話「慟哭」

 ナナホシが倒れてから、三日が経った。

 

 ナナホシの意識は、まだ戻らない。

 血を吐いた原因も、まだわからない。

 

 

 あの後、シルフィが助けを呼ぶと、すぐにアルマンフィが現れ、ナナホシを医務室へと運んでくれた。

 

 俺はその間に、他の面々を集めて、事情を説明した。

 ナナホシが体調を崩し、解毒魔術を掛けた所、血を吐いて倒れた事。

 現在医務室で治療を受けているという事。

 正直、唐突すぎて俺も状況が理解できていない、という事。

 他の面々は混乱しつつも、一応は納得してくれた。

 

 

 現在、ナナホシは『贖罪のユルズ』の手によって治療を施されている。

 贖罪のユルズには、治癒の能力がある。

 他者の体力を、健康を、別の者へと移し替える能力だ。

 解毒魔術とはまったく別理論の能力であるがゆえ、現在の解毒魔術で治らないと言われている病気でも、ある程度は治してしまう……らしい。

 ただ、一人では扱えないため、誰かの協力が必要であると言われた。

 その申し出に、シルフィが一も二もなく、自分がと申し出た。

 

 シルフィがナナホシの隣に寝かされ、治療が開始された。

 だが、ナナホシは意識を失いつつも苦悶の表情を浮かべ、咳も止まらなかった。

 

「カロワンテ。どうだ?」

 

 ペルギウスはその様子を見て、配下の一人に診察を命じた。

 『洞察のカロワンテ』。

 彼は他人の能力や隠し事を見破るという能力を持っている。

 こうした病気の時にも、その病状を見抜く力を持っているらしい。

 レントゲンのような能力だ。

 そんな彼は、ナナホシの容態を見て、首を振った。

 

「ユルズの力では、完治はしません」

「では書庫を調べよ」

「ハッ」

 

 そう言って、ペルギウスとその配下は、治療法と病名を探りはじめた。

 ナナホシの症状と、書庫にある文献とを見比べているらしい。

 俺も手伝うと申し出たが、書庫に入れるつもりはないと突っぱねられた。

 もちろん、その間にもユルズの治療は続けられ、シルフィも医務室から出てこない。

 

 結果として、俺は手持ち無沙汰になってしまった。

 

 もちろん、何もできないまま、無為に三日を過ごしたわけではない。

 一度、家に戻してもらい、ロキシーに事情を説明した。

 ナナホシが倒れ、シルフィが治療行為を手伝っている。

 そのため、帰るのに少し時間が掛かる、と。

 

 ロキシーはそれを聞いて、即座に行動を起こしてくれた。

 学校に連絡をいれて休学の届けを出し、家族への説明も済ませてくれた。

 そして、家の事は任せてください、と請け負ってくれた。

 彼女は俺よりもずっと冷静だったと思う。

 こうした事態に慣れているのだろうか。

 結局、俺が何もしないまま、やるべきことを済ませてしまった。

 俺はノルンとアイシャにもう一度、遅くなると告げて、追加の着替えなんかを持って、空中城塞に戻った。

 

 もっとも、戻ってきても、もはやすることはなかった。

 できることと言えば、ただナナホシの無事を祈るだけだった。

 

「……ナナホシ、治るかな?」

 

 俺と同様に手持ち無沙汰になっている者は、他にもいた。

 その筆頭がクリフである。

 彼は城内に作られた礼拝堂のような場所で、一心に祈りを捧げていた。

 

「全てはミリス様の御心のままだ」

 

 クリフは手を組んで眼を瞑ったまま、そう言った。

 困ったときの神頼みだ。

 俺は元々、神なんか信じていない。

 俺がこの世界で信じているのは、俺を助けてくれた人だけだ。

 だが、今ロキシーやシルフィに祈っても、気休めにすらならない事は、俺も重々に理解していた。

 

「……」

 

 ふと、昔見た映画のことを思い出した。

 宇宙人が地球を侵略してくる、有名な映画だ。

 宇宙人は圧倒的な科学力で地球人を圧倒し、滅ぼそうとする。

 しかし、ラストでは唐突に宇宙人の全ての機械が止まってしまう。

 宇宙人は、地球の風邪ウィルスへの抵抗力がゼロで、みんな風邪で死んでしまうのだ。

 

 ナナホシは、トリッパーだ。

 転生者である俺とは違う。

 歳もとらないし、魔力も無いらしく、魔道具の類も使えない。

 もしかすると、魔力だけでなく、免疫も無かったのかもしれない。

 

 いや、それだったら、もっと早くにこうなっていてもおかしくない。

 あの転移事件から、8年だ。

 ナナホシがこの世界に来てから、8年も経っているのだ。

 今更すぎる。

 

「……」

 

 あいつ。

 死ぬんだろうか……。

 

 なんでこんな事になったんだ。

 

 

---

 

 

 ナナホシが倒れて四日目。

 俺たちは円卓の間に呼ばれた。

 そこには贖罪のユルズを除く全ての使い魔が集合していた。

 そして、彼らの前に、ペルギウスがいた。

 彼は一人だけ、一際大きくて豪華な椅子に座り、使い魔達は彼の背後に立っている。

 

「お座りください」

 

 俺達はシルヴァリルに椅子を勧められ、言われるがまま席につく。

 現在、シルフィがユルズについて治療に行っているため、それを除く七名だ。

 

「ナナホシ様の病気が判明いたしました」

 

 俺達が席につくと、シルヴァリルが一歩前に出て、そう告げた。

 とうとう分かったらしい。

 

「ナナホシ様のご病気は、『ドライン病』です」

 

 ドライン病。

 聞いたことは無い。

 周囲を見ると、やはり知っている者はいなかった。

 この中で一番病気に詳しそうなクリフですら、困惑顔で首を振った。

 

「ご存知ないのも無理はありません。

 太古の昔。人の魔力が今よりもずっと少なかった頃の病です。

 当時、魔力を持たず生まれてきた子供が何人もいたそうですが、10歳ほどで例外なくこの病気に掛かり、命を落としたとあります」

 

 一応、ナナホシの状況に一致しなくもないな。

 ナナホシは十歳ではないが、この世界にきて八年だ。

 そして、魔力を持っていない……。

 ともあれ、シルフィのせいではないらしい。

 よかった。

 

「文献によると、魔力を持たぬ者は体外から入ってくる魔力を中和する力が弱く、

 10年ほど掛けてゆっくりと魔力を溜め込み、病と化す……とあります」

 

 魔力を持たぬ者は魔力を中和する力が弱い。

 ちょっと良くわからないが、魔力にも善玉菌と悪玉菌がいるという感じだろうか。

 魔力を持っている奴は、体内の善玉菌が悪玉菌を退治してくれるが、無い者は悪玉菌をそのまま体内に溜め込んでしまう。

 もっとも文献とやらがどこまで信用できるかは分からないが。

 しかし、説得力のある説ではある。

 

「その文献に、治療法は書かれていないのですか?」

「ありません。7000年ほど前、人の魔力が強くなったことで根絶した病である、と書かれております」

 

 7000年前というと、第一次人魔大戦の頃だろうか。

 確か、人魔大戦は1000年近く続いたって話だ。

 戦争というのは色んなものを進歩させる。

 人族も何らかの方法で、己を強化したのかもしれない。

 その副産物として、病が根絶された。

 そんな可能性はある。

 

 それにしても、7000年か。

 そんな昔の事となると、さすがに残っている文献も少ないだろう。

 病名が分かっただけでも奇跡かもしれない。

 

「それで、どうするんですか?」

「停滞させる」

 

 俺の問いに答えたのは、シルヴァリルではなかった。

 どっしりと座った、ペルギウスであった。

 

「時間のスケアコートの力を使い、ナナホシの時間を停滞させる」

 

 ペルギウスがそう宣言すると、一人の男が前に出た。

 口の部分が突出した仮面を付けた男だ。

 ひょっとこ、いや、ガスマスクが近いだろうか。

 彼が、時間のスケアコートか。

 

 確か、彼は触れた相手の時間を止める能力を持っている。

 同時に自分も停止してしまうが、それを使えばナナホシが突然死ぬ事も、病状が悪化する事もない。

 どれだけ長い時間止められるかもわからないし、根本的な解決にはなっていないが。

 

「なるほど、その後は?」

「地上にいる者に連絡をとり、治療法を探させる」

 

 うん。

 その方法なら、いいだろう。

 ペルギウスの名前で頼めば、ノーという奴はいないはずだ。

 

「もっとも、ナナホシを助けようとする者がどれほどいるかはわからんがな」

「甲龍王様のご威光で、なんとかしてくださるのでは?」

「我とナナホシは、ただの取引相手だ。我が誰かに借りを作ってまで助けはせぬ」

 

 ちょっと冷たいんじゃないだろうか。

 けど、ナナホシとペルギウスの関係がわからないから、口を挟みにくいな。

 

「勘違いするなよ。我が城にいる以上は客人であるから最低限、助けもしよう。

 だが、最大限は助けぬ。

 我はラプラスを見つけ、ラプラスを倒すことのみを目的として生きているのだからな」

 

 ラプラスを監視するお仕事があるから、必要以上の労力は割けない、って事か。

 誰かに頼めば貸しができる。

 貸しができれば返さなければならなくなる。

 まして、失われてしまった病の治療法だ。

 相手が要求してくるものは大きいだろう。

 ペルギウスがナナホシ相手にそこまでする義理は、無いのだろう。

 

 いや、十分すぎるほどの義理は払っているといえる。

 ナナホシの生命を繋ぎ止め、維持する。

 自分はそれ以上はやらないが、助けたい者がいるなら、助ければいい。

 ペルギウスはそう言っているのだ。

 間違ってはいない、と思う。

 

「……ナナホシを見捨てるつもりなのか!」

 

 そう叫んだのは、クリフだった。

 クリフは立ち上がり、ペルギウスに対して怒鳴った。

 

「見捨てるとは言っておらぬ」

「うそだ! あんたは、こんなにすごい城を持ち、こんなに有能な使い魔を引き連れている! なら、治療法を探す事だってできるはずだ!」

 

 クリフの言葉に、ペルギウスはぴくりと眉を動かした。

 

「出来る者が探さねばならぬ道理は無い」

「ふざけるな! 弱者を助けるのは、力を持つ者の義務だ!」

「ふん、ミリス教の忌々しい教義を押し付けるな」

「なんだと!」

 

 クリフはただ、感情のままに言葉を発しているのがわかった。

 彼はミリス教徒だ。

 ミリス教はキリスト教とよく似ている。

 困っている子羊には手を差し伸べるべし、なんて教義もあるのかもしれない。

 

 だが、それをペルギウスに言うのは間違いだ。

 ペルギウスは、ペルギウスの考えで動いている。

 400年も、ただ一つの目的のために動いているのだ。

 

 確かにペルギウスは、ナナホシの研究した異世界召喚の知識は欲しいんだろう。

 けど、それはラプラスという存在の上位には来ない。

 あくまで、暇つぶしか何かの一環なんだろう。

 

「お前が言ってるのは、ナナホシを見捨てるって事だ! 助けるならちゃんと最後まで」

「クリフ、おやめなさい!」

 

 クリフが椅子を蹴って立ち上がった瞬間、エリナリーゼが叫んだ。

 彼女はクリフの肩を強くつかみ、その動きを封じていた。

 

「クリフ、気持ちはわかりますが、抑えて」

「……」

「こんなことで、あなたを失いたくはありませんの」

 

 見ると、11人の使い魔が、全員身構えていた。

 ペルギウスは半腰のクリフを見て、嘲笑するように口元を歪めた。

 

「文句があるなら、自分で動いたらどうだ? 貴様の神もそう言っていよう。人を助けるに、人を頼る無かれ、だったか?」

「くっ……」

 

 クリフは悔しそうな顔をして、落ちるように椅子に座った。

 彼も、別にペルギウスに食って掛かりたいわけじゃないんだろう。

 ただちょっと、ペルギウスという強大な人物を前にして、何でもできそうだ、助けてくれそうだと思っただけで。

 

「ふぅ……」

 

 どうしたものか。

 ナナホシは助けてやりたい。

 しかし、方法がわからない。

 

 アリエルや他の面々の顔を見ると、やはり同じように思っているらしい。

 アイシャあたりもナナホシとは付き合いがあるし、死んだら悲しむだろう。

 それにこのまま死んでしまったら、シルフィが責任を感じそうだ。

 

 何か、俺にできることはないんだろうか。

 何も出来ないのだろうか。

 

「失礼します」

 

 と、そこで円卓の間の扉が開いた。

 贖罪のユルズだ。

 彼女は俺たちに向かい、言った。

 

「ナナホシ様が意識を取り戻しました」

 

 そういわれ、俺ははじかれたように立ち上がった。

 

「ど、どうですか?」

「表面的な病状は改善しました」

「表面的な?」

「はい、『ドライン病』にて溜まった魔力は、肉体を変異させ、病気を引き起こすようですので、その病気の方は治癒いたしました」

 

 そう聞くと、エイズみたいな感じだな。

 今までの咳も、その徴候だったのだろう。

 解毒で表面的な病気は治っていたが、根治には至っていなかったというわけか。

 

「その、魔力を吸い出したりとかはできないんですか?」

「私には不可能です」

「じゃあ、誰かできる人は?」

 

 ユルズは俺の問いに、ゆっくりと首を振った。

 

「そうですか……」

 

 なんらかの方法で、体内の魔力を吸い出す方法は無いのだろうか。

 例えば、そういう魔道具を使うとか。

 

 7000年前よりも、今のほうがそのへんは発達しているはずだ。

 だが、どうすればいい。

 吸魔石とか使えば、除去できるのか?

 いや、あれだって、体内の魔力を吸い出せるようなものではない。

 でも、出来ないことは無い気がする。

 作れるか?

 だが、製作にどれだけ掛かる?

 そもそも、できるという確証もない。

 くそっ。

 

「とにかく、ちょっとナナホシの様子を見てきます」

 

 俺がそう言って立ち上がると、追従するように他の皆も立ち上がった。

 

 

---

 

 

 医務室は、寒々としていた。

 家具類は客室とそう変わらない。

 ただ、石材がむき出しで、壁には窓が無かった。

 部屋の中央付近には手術台のようなものがおいてあり、戸棚の中にはナイフや包帯などが備えられていた。

 

「……」

 

 ナナホシは部屋の隅にいた。

 彼女が吐いた血は綺麗に拭われて、いつのまにか入院服のようなものに着替えさせられていて、清潔な感じだ。

 だが、生気は無かった。

 

「ナナホシ、大丈夫か?」

 

 そう聞くと、彼女はこちらをチラリと見て、言った。

 

「大丈夫に見える?」

「……」

 

 見えない。

 彼女の顔は真っ青で、眼の下にはどす黒いクマができていた。

 誰がどう見ても、不健康体だ。

 『贖罪』の能力は、患者のほうも消耗させるのだろうか。

 

 もう片方のベッドは空だ。

 シルフィは、俺たちと入れ替わりになるように、客室に運ばれた。

 運ばれる時に様子を見たが、シルフィの方もやつれていた。

 ここ4日、ずっとシルフィは治療に参加していた。

 飲まず食わずだったわけではないようだが、やはり体力の消耗は著しいだろう。

 

「病気、治せないって言われたわ」

「ああ、うん」

 

 俺は、ベッドの脇にある椅子に座った。

 ユルズ女史は、病気の状態を隠すとかはしなかったようだ。

 

「まあ、すぐ良くなるさ」

「なるわけないじゃない」

 

 そう言うと、ナナホシはそっぽを向いた。

 壁の方を向いて、押し黙ってしまった。

 今のはちょっと無責任な言葉だったかもしれない。

 ちょっと、どういう言葉を掛けていいのか、分からない。

 

「……」

 

 俺が黙った後、アリエルたちが口々に声を掛けた。

 慰める者、気をしっかりもてという者、必ず治ると言う者。

 言葉は様々だったが、元気づける言葉ばかりだった。

 

 しかし、こういう時、こういう言葉は逆効果になるかもしれない。

 本当に辛い奴にとって、上っ面だけの言葉ほど、聞きたくないものはない。

 

「……」

 

 やがて、言葉が切れた。

 反応のないナナホシに、誰も何も言えなくなってしまった。

 重苦しい沈黙が場を支配して、居づらい空気が流れた。

 

「ではナナホシ。私は先に部屋へと戻らせていただきます。またお見舞いに来ます」

 

 アリエルを皮切りに、一人、また一人と部屋から出て行った。

 最後にクリフが残っていたが、エリナリーゼに促され、出て行った。

 彼らが出て行く時、エリナリーゼが「……掛ける言葉が、ありませんわ」と言ったのが聞こえた。

 まさにその通りだ。

 

 そして、俺が残った。

 なぜ残ったのか、俺自身もわからない。

 だが、もう少し、側にいてやる必要があると思った。

 一人にするのは危ないと、なんとなくだが、思ったのだ。

 

「……」

 

 だが、掛ける言葉は無い。

 病気の相手。

 治らないかもしれない相手。

 何を言っても、上っ面だけの言葉になりそうだ。

 

 ナナホシは、不安だろう。

 召喚魔術の方は順調だった。

 第一段階で少し詰まったが、第二段階、第三段階はうまくいった。

 第四段階もペルギウスに聞く限り、すでに方法は確立されている感じだった。

 第五段階はまだ分からないが、延長線上の話だ。

 あと1年か2年もすれば帰れる。

 そう思っていた矢先、いきなり癌を宣告されれば、不安になる。

 癌は不治の病ではなくなったとはいえ、しかし致死率の高い病気であることには変わりはない。

 

 いつかみたいに、暴れだしてもおかしくはない。

 

 けど、本当に治らない病気ってんなら。

 もう未来は無いというのなら、暴れるのもいいかもしれない。

 俺も付き合ってやろう。

 なんかこう、スカっとする何か……。

 

「私、もともと、あんまり体強い方じゃなかったのよね」

 

 俺が黙っていると、ナナホシは溜息を付くように言葉を発した。

 その声音は、俺が思っているよりも元気そうに聞こえた。

 だが、それが空元気であることは、明らかだった。

 

「病気がち……って程でもなかったけど、年に1回は風邪とか引いてたし」

 

 ポツポツと語りだした。

 俺はそれを、黙って聞く事にした。

 

「成績は良かったけど、別に運動とか出来る方でもなかったし。どっちかというと、インドア派だったし」

 

「こっちの世界って、あまり医学って発達してないじゃない?」

 

「知ってる? こっちの世界の人って、魔術があるせいか知らないけど、傷口を洗う事すらしないのよ? それで手遅れになって死んだり、手足を切り落としたりする人が大勢いる。馬鹿よね。ちょっと飲水で傷口を洗うだけで予防できるのに」

 

「私、自分が魔術を使えないってわかってから、結構色々予防してたのよ。病気をうつされないために、人のいる所に行かないとか。よくわからない食べ物は食べないとか」

 

「確かに、あなたから見ると不健康に見えたかもしれないけど、一応、部屋の中で運動もしてたし、自分なりに気をつけてたつもりだったのよ」

 

「だって、病気とかしたら、治らないかもしれないし」

 

「ていうか、病気になったら、多分、治らないだろうなって思ってたし」

 

「だって、掛かるとしたら、私の知らない病気だし……」

 

「……大体さ、この世界って、おかしいじゃない?」

 

「なんか、自重で潰れちゃいそうなぐらい大きな獣は出るし、魔術か何かしらないけど、物理法則は無視するし」

 

「そりゃ、私だって、来たばっかりの頃は、ちょっとは面白いなって思ったよ?」

 

「私だって、結構ゲームとかやるし、剣と魔法とか、嫌いじゃないし。ワクワクしなかったって言ったら、嘘になる」

 

「あなたみたいに、この世界で生きていけるのは、ちょっとうらやましいなって思ったことも……」

 

 そこで、ナナホシはふと、言葉を切った。

 肩が震えた。

 ゆっくりとこちらを向く。

 その顔は、クシャクシャに歪んでいた。

 真っ赤な目には、大粒の涙が溜まっていた。

 

「死にたくないよ」

 

 ぼとりと涙が落ちた。

 決壊した。

 

「こんな所で、死にたくない! 

 こんなおかしな世界で死にたくない!

 なんで! なんでよ!

 おかしいよ!

 ねえ知ってる!?

 あたし、8年前から何も変わってない!

 背も伸びてない、髪もそのまんま!

 お腹は減るし、ご飯も食べてうんちもするのに、爪も伸びなきゃ、生理もこない!」

 

 ナナホシはすぐ側にあった水差しを掴んで、投げた。

 水差しは壁にぶち当たり、大きな音を立てて割れ、床を水浸しにした。

 

「私はこの世界の人間じゃない!

 この世界では生きてない!

 死体みたいになってる!

 なのに、なんで!

 なんで病気にだけ掛かるの!

 おかしいじゃない!

 なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの!

 死にたくない!

 こんな、こんな変な世界で死にたくない!」

 

 ナナホシはボロボロと涙をこぼしながら、喚いた。

 

「だって、私まだ、キスすらしたこともないのよ!

 好きな人もいるのに、好きだって言えてもない!

 羨ましいわよ! あなたが!

 毎日楽しそうで、充実してて!

 なんなのよ!

 お父さんが死んだって!?

 お母さんが病気で大変だって!?

 だから何よ! いいじゃない!

 私はこのままじゃ、お父さんの死に目にすらあえない!

 私が死んでも、お母さんはそれを知ることすらできない!

 会いたいよ! お父さんに! お母さんに!

 覚えてる! あの日の朝の事。

 お父さん、今日は早く帰ってくるって言ってた。

 お母さん、今晩は秋刀魚を焼くって言ってた。

 私はお父さんに、友達が来るから遅くなってもいいとか言って、

 お母さんに、もう秋刀魚は飽きたって文句言って、

 なんで、あんな事。

 きっと、お父さんも、お母さんも、心配してる。

 会いたい、帰りたい。

 死にたくない。

 こんな所で死にたくない……うっ……ひっく……」

 

 ナナホシは膝を抱えて、顔を埋めた。

 もう言葉は無かった。

 聞こえてくるのは嗚咽だけだ。

 ひっくひっくという嗚咽と、悲痛な泣き声だけだ。

 

「……」

 

 胸に刺さった。

 俺は、ナナホシの辛さが分かってしまった。

 

 この世界に来た当初だったら、きっと響かなかっただろう。

 会いたい、帰りたい。

 家族に会いたい。

 そんな事を言われても、俺はきっと分からなかっただろう。

 そんなものは忘れて、この世界を愉しめばいいとか、そう思ったかもしれない。

 

 けど、今は違う。

 帰りたいという気持ちも、会いたいという気持ちもわかる。

 何気ない日常ってのは、大切なものだ。

 なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。

 ……い(・)なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。

 

 パウロは死んだ。

 ゼニスも記憶は戻らないかもしれない。

 ブエナ村での、あの暖かい家族は、戻ってこない。

 俺はこれから、自分の家族と、生活を守っていかなきゃいけない。

 シルフィ、ロキシー、ルーシー。

 リーリャ、アイシャ、ノルン、ゼニス。

 彼女らと離れ離れになったら、きっと胸が裂けるほど辛いだろう。

 彼女らの誰かがいなくなったら、きっと死に物狂いで探すだろう。

 

 もし、俺が今のまま、元の世界に戻ってしまったら。

 例えそこで、今のような魔術を使えて、どれだけちやほやされても。

 俺はこの世界に戻る事だけを考えるだろう。

 

「ヒッ……ヒック……」

 

 ナナホシは膝を抱え、震わせている。

 

 彼女はクリフともザノバとも、シルフィとも、必要以上に仲良くはしなかった。

 けれど、俺の言葉は拾ってくれた。

 俺の頼みも聞いてくれたし、俺の開催する催し物にも参加してくれた。

 記憶をたどってみても、彼女に邪険にされた事は、あまりない。

 

 ナナホシは、俺と日本語で話すとき、うれしそうにしていた。

 彼女にとって日本語を喋れる俺は、唯一の癒しだったのかもしれない。

 

「誰か、助けてよ……」

 

 ナナホシの小さな声に。

 俺は立ち上がった。

 

 

---

 

 

 円卓の間に戻ると、ペルギウスはまだそこにいた。

 他の部下はいなかった。

 ただペルギウスだけが、俺を待っていたかのように、そこにいた。

 

「どうした?」

「……俺も動きます。ペルギウス様の業務に支障が無いレベルでサポートをいただければありがたく思います」

 

 そう言うと、ペルギウスは大仰に頷いた。

 

「ほう、動くか。貴様が。よかろう。我としても、ナナホシが死ぬのは、忍びないからな」

「ありがとうございます」

 

 しかし、どうするべきか。

 大昔、7000年も前に根絶した病気、その治療法。

 皆目、見当もつかない。

 解毒や治療魔術で治らないのは間違いない。

 それで治るなら、ペルギウスだってそうしているはずだ。

 

 魔道具。

 これもできるかどうかはわからない。

 体の中への作用というのなら、クリフの魔道具が近いかもしれない。

 だが、今のところ、クリフの魔道具はエリナリーゼ専用だ。

 エリナリーゼの容態を見つつ、少しずつ調整している。

 効果は出ているが、完成はしていない。

 あるいは、ナナホシ相手でも、少しずつ調整すれば、病気を抑えることはできるかもしれない。

 だが、体を調べ、体調の変化を確認しつつ調整していく時間は、おそらくナナホシには無い。

 今回は血を吐いた。

 表面的な症状は治ったが、きっとすぐに再発する。

 そして、次は即死するかもしれない。

 また、時間を停止している状態では、実験もできまい。

 

 魔道具はダメだ。

 いずれ作るのはいいかもしれないが、今はもっと即効性のある治療法が必要だ。

 

 治療法。

 誰か知らないのか。

 例えば、人神とか、オルステッド。

 あのあたりなら知らないだろうか。

 

 人神とは連絡が取れない。

 今晩寝れば、あるいは助言の一つもくれるかもしれないが。

 しかし俺の側からコンタクトを取ることはできない。

 

「ペルギウス様。龍神オルステッドに連絡は取れないでしょうか」

「不可能だ。奴がどこにいるかなど、把握しておらん」

 

 オルステッドとも、連絡は取れない、か。

 

「だが、おそらく、奴も知らんだろう。奴が現れたのは約100年前、賢い男であるが7000年前の病気の事など、知るまい」

 

 オルステッド、100歳ぐらいなのか。

 もっと長生きしていると思ったが、ペルギウスに比べると、まだまだ若いのか。

 いや、俺よりは十分年寄りだが。

 

「そうですか、しかし7000年前の事を知っている人物となると……」

 

 いや、まてよ。

 7000年前。

 

 一人いたな。

 そのぐらいの長さを生きているであろう人物が。

 病気のことについて詳しい印象は無かったが……。

 しかし、話を聞くだけなら、タダだ。

 

「一人、心当たりがあります……」

「ほう」

 

 そもそも、見つけられるかどうかもわからない。

 前に会ったのは偶然だった。

 偶然会ってそのまま別れた。

 繋がりは無い。

 

 しかし、何かしなければいけない。

 何もしなければ、何も起こらない。

 

「俺を魔大陸に送ってもらう事は、可能ですか?」

「魔大陸? どうするつもりだ?」

 

 俺が会ったのは、過去に一度だけ。

 ロキシーも会ったらしいが、今はどこに居るのかわからない。

 だが、彼女の名前は昔から知っていた。

 まだフィットア領があった頃、歴史の勉強をして、覚えていた。

 一度会った後も、忘れたことはない。

 

「魔界大帝キシリカ・キシリスを訪ねてみようと思います」

 

 7000年前。

 人魔大戦を勃発させた人物の名前を。