無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

間話「黒狼の剣王」

 ペルギウス・ドーラがアリエル・アネモイ・アスラと協力関係になって3日後。

 

 魔法大学女子寮から、やや離れた場所に位置する講堂。

 貴族用にと用意され、様々な用途に使われる場所である。

 現在、ここはアリエル王女の引っ越しの準備に貸し切られていた。

 

 そんな講堂の一室の前に、4つの人影があった。

 男が一人に、女が三人。

 そのうち二人は、この学校で知らぬ者のいない二人。

 泥沼のルーデウスと、無言のフィッツことシルフィエット。

 

 その他二人は、最近近所で有名になりつつある剣王。

 エリスとギレーヌである。

 

「言っておくけど、礼儀作法なんて忘れたわ」

「あたしも礼儀には疎い」

 

 講堂の扉を前に、二人は堂々と言い放った。

 二人の態度にルーデウスは肩を竦めて、シルフィは苦笑した。

 

「アリエル様は、そんなに礼儀にうるさい人じゃないし。

 お付きの護衛に、必要以上の礼儀を求めたりはしないよ」

 

 シルフィはそう言いつつ、エリスの肩に糸くずがついているのを見て、それを摘んで取り去った。

 その態度に、エリスが口をへの字にして腕を組んだ。

 

「でも、私もルーデウスの奥さんだから、変な態度だったら、ルーデウスに迷惑よね?」

 

 エリスの言葉に、ルーデウスは目をパチクリさせた。

 まさかエリスからそんな言葉が出て来るとは、思っていなかったのだ。

 

「俺は別に迷惑じゃないよ。

 でも、敬語だけは心がけて欲しい。

 そうじゃないと、シルフィの立場が無いからね」

「……いや、ボクは別にいいけど。そういうの慣れてるし」

 

 シルフィがポリポリと耳の裏を掻きつつ、口を尖らせた。

 イジメられっこと、男装の護衛を経験した彼女は、他者からアレコレと言われる事には慣れていた。

 もちろん、慣れても辛い時はある。

 が、ここ数十日の同居生活で、エリスにそういった事を求めるのは酷だと悟っていた。

 

「……」

 

 逆にエリスはそれを見て、やはり自分が頑張らなければと考えた。

 シルフィに対する感情は、まだまだ複雑なものがある。

 

 正直な所「家族」というイメージはまだ持てていない。

 だがそれでも、敵であるという認識は持てなかった。

 仲間か、あるいは同胞という感覚が近いだろう。

 

「ふん……」

 

 エリスは顔をしかめたまま、自信なさそうに自分の服装を見下ろした。

 おかしな所は無い。

 礼服ではないが、剣王として恥ずべき格好では無いとニナにお墨付きをもらっている。

 しかし、あくまで剣王としてである。

 

「服装は、おかしくないわよね?」

「うん。それは大丈夫。

 その格好、すごくカッコイイしね」

 

 シルフィにもお墨付きを貰い、エリスはよしと頷いた。

 なぜだか、シルフィがいうなら大丈夫だろうという認識があった。

 

「それともドレスの方がよかった?

 エリスって、良家のお嬢様なんだよね……。

 ってことは、お嬢様っぽく見られた方がいい?」

「問題ないなら、これでいいわ」

 

 エリスはこちらに来てから服飾品も購入したが、未だルーデウスには見せていない。

 一応、着る機会はあったのだが……。

 どうにも似合わない気がして、一度も袖を通していない。

 見せたのは、夜用のネグリジェだけである。

 もっとも、夜用なのでルーデウスに見せるのはごく短い時間で、すぐ脱ぎ捨てる事になるが。

 

「礼儀作法は、アスラ王国に着くまでにシルフィに習えばいいわね」

「……まあ、教えるのはやぶさかじゃないけど」

 

 エリスは深呼吸をした。

 妻になる。

 ルーデウスに相応しい女になる。

 そう思って頑張ってきたが、やはり剣の修行だけではダメなのだ。

 

「よし、じゃあ行くよ」

 

 シルフィの言葉にエリスとギレーヌは、深く頷いた。

 シルフィはすぐ目の前にあった扉をノックして、声を張り上げる。

 

「アリエル様。エリス・グレイラットと、ギレーヌ・デドルディア様をご紹介に上がりました!」

「お入りなさい」

 

 シルフィは扉を開け、中へと入る。

 荷造りのため、普段よりやや散らかった室内。

 その中央付近にある椅子に、アリエルが腰掛けていた。

 

 シルフィはアリエルの脇に立つように移動。

 ルーデウスがアリエルとエリスの中間に立った。

 

 ルーデウスはまず、胸に手を当てて一礼し、エリスの方を手で示した。

 

「アリエル様。こちらがエリス。

 エリス・グレイラット。

 アリエル様もご存じでしょうが、『狂剣王』の異名を持つ剣士です。

 この度は私、ルーデウス・グレイラットの護衛として旅に同行します」

 

 ルーデウスはそこまで言って、小声で「ほら、エリス」と呼びかけた。

 エリスは腕を組みかけて、しかし胸に手をやり、頭を下げた。

 ルーデウスの真似である。

 

「エリス・グレイラットよ」

 

 やや無礼ともいえる態度だったが、アリエルは柔らかく微笑んだ。

 

「お初にお目にかかります。エリス様。

 アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラです。

 幼少の頃より、お噂はかねがねきいておりました」

「ふん、どうせ、ロクな噂じゃないんでしょう」

 

 その言葉に、アリエルはくすりと笑った。

 

「確かに王宮で流れていたものは、良い噂ではありませんでした。

 しかし、私は噂で人となりを見るつもりはありません。

 噂など、しょせんは噂でしかないのですから」

「……」

「何より、ルーデウス様の隣に立っている事が、その証拠。

 ルーデウス様の周囲には一癖も二癖もある方々が集いますが、悪人はいませんからね」

 

 エリスは満足気に頷いて、両腕を組んだ。

 両足を肩幅に開いての、いつものポーズである。

 すでに貴族令嬢としてのあいさつの方法などすっぽ抜けていた。

 

「そうね。ルーデウスは凄いわ。わかってるじゃないの」

「はい……ともあれ、短い間でしょうが、よしなに」

 

 アリエルは座ったまま、礼をした。

 エリスはそれを見下ろしつつ、フンと鼻息を一つ吐きながらも、一応ながらも頭を下げた。

 

「こほん」

 

 エリスの態度に耳の後ろを掻きつつ、シルフィは咳払い。

 その咳払いで、エリスは「あっ」と小さくつぶやいて、腕を解いた。

 そして、やや顔をしかめつつ、後ろへと下がる。

 

 それを見て、ルーデウスも苦笑しつつギレーヌを手で示した。

 

「こちらがギレーヌ。

 ギレーヌ・デドルディア。

 あの有名な『黒狼』のギレーヌです。

 アリエル様の護衛として、ご紹介いたします」

 

 ギレーヌは一歩前に出て、片膝をついた。

 隻眼をアリエルに向け、鋭い目線を送る。

 

「ギレーヌだ」

「お初にお目にかかります。ギレーヌ。

 アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラです。

 フィットア領にいらっしゃる頃に――」

「一つ聞く」

 

 アリエルの言葉をさえぎって、ギレーヌは問うた。

 

「お前の下につけば、サウロス様の敵を討てると聞いた。本当か?」

「本当です」

 

 アリエルはこの無礼な問いに、即座に答えた。

 すでにシルフィより、彼女がどうして自分の護衛になるのかを聞き及んでいた。

 ギレーヌはサウロスの敵討ち。

 エリスも名目上はルーデウスの護衛だが、似たような理由であると見当をつけていた。

 

「私と共にアスラ王宮に行けば、サウロス様を陥れた相手……実行犯も見つかりましょう。

 いえ、私が見つけます。その時は、存分にその剣をお振るいください」

 

 サウロス・ボレアス・グレイラットの死については、アリエルも知っている。

 彼はフィットア領消滅の責任を取らされ、処刑された。

 四大地方領主の一つである、ボレアスの力を削ぐため、引いては第一王子の勢力を弱体化させるための謀略の結果である。

 

 もちろん、アリエルにそのような命令を出した記憶はない。

 だが、自分の陣営の手の者であるという可能性も、アリエルは考えていた。

 その場合は面倒な事になるが……。

 それでも迷う事なく、その貴族の首を差し出すだろう。

 ギレーヌを紹介したルーデウスの顔を立てて。

 

「頼む」

 

 ギレーヌは一言そう言うと、スッと立ち上がった。

 尻尾をくるりと動かしつつ、シルフィへと視線を送る。

 

「それで、あたしはどうすればいい?」

「えっと。ギレーヌさんには明日から、アリエル様の護衛についてもらいます。

 今日の所は顔合わせだけなので、旅支度を整えてから、またボクの所に来てください。

 護衛の仕事の詳細を、ルークと一緒に教えますから」

「心得た……それと、ギレーヌでいい」

 

 ギレーヌは短くいうと、一歩後ろへと下がった。

 

「……」

 

 アリエルは改めて、目の前に立つ三人を見た。

 

 狂剣王エリス、黒狼ギレーヌ。

 二人を呼び寄せた、アリエルの知る中で最も強大な魔術師、泥沼のルーデウス。

 強大だが、自分に忠誠を誓っているわけではない三人。

 

 そして、ルーデウスの裏にいるであろう龍神オルステッド。

 ルーデウスは否定していたが、彼が自分と接触してきたのがオルステッドの指示であろうことは見当がついていた。

 

 正直、オルステッドが何を企んでいるのかはわからない。

 アリエルがオルステッドを見かけたのは一度。

 一目見ただけで、言い知れぬ恐怖心を覚えた。

 ナナホシとの会話を見て考えを改めたものの、理由も告げずに協力すると言われて不安感を抱かないほどの相手ではない。

 

 だというのに、アリエルは不思議と安心感を覚えていた。

 目の前に集まった強大な力に浮かれているのか?

 分不相応な力が、己が身を滅ぼすと知っているのに?

 違う。

 

「では皆様、よしなにお願いします」

 

 アリエルは立ち上がり、三人に礼をした。

 

 自然と返礼するルーデウス。

 ルーデウスを見て慌てて礼を返すエリス。

 会釈程度に頭を下げ返すギレーヌ。

 

「……」

 

 礼の終わり際に、アリエルはちらりとシルフィを見た。

 不安を覚えないのは、彼らとのつながりが彼女にあるからだ。

 

 オルステッドが何を企んでいるのかは不明である。

 だが、ルーデウスは家族を守るためにオルステッドについた。

 ならば、ルーデウスはシルフィエットを傷つけない。

 そして、シルフィエットはアリエルを傷つけない。

 その事実が、アリエルに安心感を与えているのだ。

 

(シルフィ、あなたには、特別な感謝を)

 

 アリエルは心の中で、脇に立つ無二の親友に頭を下げた。

 

 

---

 

 

 その日の夜。

 

 魔法都市シャリーアに無数に存在する酒場。

 喧騒にあふれる酒場に、ひときわ静かな一角がある。

 その一角、カウンターの隅には、大柄な女が座っており、一人で静かに杯を傾けていた。

 

 茶褐色で筋骨隆々とした獣族の女。

 やや年増ではあるものの、傍目から見れば美人。

 だというのに、彼女に近づこうという者はいない。

 

 彼女から立ち上る剣呑な雰囲気。

 そして「狂剣王」という存在への恐怖心が、彼女を人気から遠ざけていた。

 もっとも、彼女は狂剣王の師匠であっても、狂剣王その人ではないのだが。

 

 そんな酒場に、新たな客が現れた。

 カランコロンと扉の鈴を鳴らして現れたのは、豪奢な髪を持つ一人の長耳族だった。

 美しい顔と、胸以外はそそる肉体を持つ彼女。

 しかし、そんな彼女のお腹は、そのスラリとした外見からは想像できないほどに膨らんでいた。

 妊婦である。

 

 そんな彼女を見て、酒場にいた何人かが嬉しそうに声を掛けた。

 

 よう、久しぶりじゃねえか。

 もう男漁りはいいのか?

 そういや結婚したんだってな。

 こっちきて一緒に飲もうぜ!

 

 彼女はそういった声に愉快そうにあしらいつつ、酒場の中を歩く。

 向かう先は酒場の隅。

 カウンターの一番奥。

 誰もが近寄らない席の隣に、彼女は座った。

 周囲が息を飲む。

 

「ハァイ、ギレーヌ。おまたせしましたわね」

 

 彼女――エリナリーゼは、カウンターの端に座る獣族の女に、明るい声を掛けた。

 

「遅い」

 

 ギレーヌは事実を淡々と述べた。

 

「仕方ないじゃありませんの。身重なんですもの……あ、わたくしにも麦酒とおつまみを」

 

 エリナリーゼは店主にそう注文した。

 妊婦が酒を飲むと聞いて、周囲の男連中の何人かが顔をしかめた。

 ギレーヌも、そのように思う一人だった。

 

「飲んでいいのか?」

「あなたとの嬉しい再会の乾杯、

 これから話す悲しい話題。

 どちらもお酒は必要ですわよ」

 

 そう言われると、ギレーヌも嫌とは言わなかった。

 

「大丈夫、そんなお腹の子供に影響があるぐらい飲んだりはしませんわ。

 やっと出来た、愛しい愛しいあの人の子供ですもの」

 

 うっとりとした表情でお腹を撫でるエリナリーゼ。

 その様子に、ギレーヌは意外そうな顔をした。

 

「番(つがい)を作ったとは聞いていたが、お前がここまで一人に傾倒するなんてな」

「わたくし自身も、ちょっと意外ですわ。

 でもクリフは素晴らしいんですのよ。

 ちょっと融通が聞かなくて、話も聞かないけれども、

 自分を持っていて、自分に対する責任感も強いんですの。

 エッチの時も一生懸命で、自分が気持よくなるだけでなく、

 わたくしを気持ちよくさせようと一生懸命動いてくれるんですのよ。

 それが可愛くて可愛くて……。

 ギレーヌも、早い所いい人を見つけるといいですわ!」

「あたしはいい」

 

 ノロけに対して、ギレーヌはあっさりとしたものだった。

 彼女は、もう自分が女として生きていくことは諦めていた。

 剣士としての生き様を貫こうと思っていたのだ。

 

「ま、無理強いはしませんわ……っと」

 

 そこで、エリナリーゼに麦酒が届いた。

 この地方では麦酒はやや高いが、アルコール度数は低い。

 エリナリーゼにとっては、ジュースみたいなものである。

 

「さて、では、懐かしき友人との再会に、乾杯」

「乾杯」

 

 ギレーヌが手に持った杯を、エリナリーゼの杯とぶつけあった。

 カンと小気味良い音が響く。

 

 エリナリーゼとギレーヌ。

 元『黒狼の牙』のメンバーが、再会を果たした。

 

「この場に、タルハンドとギースもいればよかったんですけど……」

「……パウロと、ゼニスもな」

 

 そう言うと、楽しいはずの酒が一瞬で悲しいものとなった。

 しかし、エリナリーゼも、もともとそういった話をするためにここに来ていた。

 もう少し酔が回ってからの方が話もしやすかったが、気にする事はない。

 

「パウロは……残念でしたわ。本来なら、わたくしが先に死ななければいけないのに……」

「奴は、生き急いでいた。早死するだろうとは思っていた」

「ああ、なんか昔、そんなこと言ってましたわね」

「言ったのはお前だ」

「そうでした?」

「ああ……あたしは、奴が死んだことは、そう不思議ではなかった」

「パウロも、最後は立派でしたのよ……聞きます?」

「教えてくれ」

 

 エリナリーゼは請われるがまま、パウロの最後を告げた。

 家族と離れ離れになり、必死で探しまわったこと。

 あれだけ女好きだったのに女を断(た)って、ゼニスに操を立てていたという話。

 ルーデウスと再会した後の、彼とルーデウスの会話。

 嬉しそうに話すパウロの顔。

 そして、ルーデウスをかばって死んだ、パウロの最後。

 

「そうか、奴も変わったな。お前と一緒に馬鹿をやっていた時と一緒とは思えん」

「あら、一番の馬鹿はギレーヌだったでしょう?

 パウロを見ると尻尾を振っていた時期の事、覚えてますわよ」

「あれは気の迷いだ。発情期のな。それと、あたしはアドルディアじゃない。嬉しくても尻尾は振らない」

「比喩ですわよ、比喩」

「ふん」

「でも、あの頃のギレーヌは可愛かったですわね。

 何かにつけてパウロの事を気にかけて……」

「昔の事だ。忘れろ」

 

 エリナリーゼはコロコロと笑い、甘めの味付けをされたツマミを口に放り込んだ。

 コリコリと固い肉を咀嚼しつつ、ごくりと飲み込む。

 それを見て、ギレーヌも同じものを注文しようとした。

 

「ああ、別のにして、二人で分けましょう」

 

 エリナリーゼは自分の皿をギレーヌに押しやった。

 二人して同じものをつつきあう。

 しばらく、コリコリという音だけが二人の間を支配した。

 

「あたしは、パウロより、ゼニスの方がショックだった」

 

 皿が空になる頃、ギレーヌがポツリと言った。

 

「あのゼニスが、あんな風になるなんて、思ってもみなかった」

「そうですわね。でも、ルーデウスも治療法を探しているみたいだし、少しずつ自分を取り戻していますわ」

「……」

「きっといつか、わたくし達の知っているゼニスが戻ってきますわよ」

「そうか?」

「ま、歳はとってるでしょうけどね」

 

 ギレーヌはフッと笑い、杯をあおった。

 

「その時は、また一緒に飲めるといいな」

「そうですわね。その時は、ギースとタルハンドも呼んで、パーっと騒ぎたいものですわ」

「奴らはどうしたんだ?」

「ああ、タルハンドとはパーティを解散した後――」

 

 その後、二人は色んな話をした。

 

 パーティを解散してからの事。

 転移事件が起こってからの事。

 ルーデウスと出会った時の事。

 

 それだけじゃない。冒険者時代の事も話した。

 ダンジョンにもぐった時の事。

 ギースがギャンブルで金をすって、パーティ全員でカツアゲをした時の事。

 ギレーヌが発情期で、パウロがそれにつけこんだこと。

 エリナリーゼがさらにそれにつけこんで、しばらく三人でドロドロした生活を送った事。

 大体は赤面するほど恥ずかしい記憶だった。

 だが、全てが懐かしく、胸の底が震える思い出だった。

 

 エリナリーゼはほろ酔い状態で、目を細めながら話をした。

 ギレーヌはいつしか泥酔し、うつろな顔でテーブルに頬杖をついていた。

 

「あらあら、珍しく酔いつぶれてますわね、お部屋に戻れますの?」

「大丈夫だ。あたしを襲う狼は、もういないからな」

 

 ギレーヌはそう言って、背後を振り返った。

 荒くれ者の冒険者たちはギレーヌの視線を受けて目をそらした。

 

「これなら、フィリップ様の誘いを受けておくんだった」

「フィリップ? ああ、フィットア領の?」

「ああ、一度だけ、妾にならないかと言われた事がある」

「それはもったいなかったですわね。受けておけば玉の輿でしたのに」

 

 エリナリーゼのからかう声に、ギレーヌは寂しげに笑った。

 

「エリスお嬢様に顔向けができなかったからな」

「あなたから顔向け、なんて言葉が出て来ることにビックリですわ……あら?」

 

 エリナリーゼはそう言いつつギレーヌを見て、首をかしげた。

 ギレーヌは据わった目をしていた。

 殺気のある目つきだった。

 

「フィリップ様も、もう死んだ。奴は転移事件を生き残れなかった。死体は埋葬し、殺した奴も殺した」

「……あら、そうですの。それは残念でしたわね」

「エリスお嬢様はルーデウスの所に嫁いだ……」

 

 ギレーヌはギラついた目で天井を睨んだ。

 

「あとは、サウロス様の仇だけだ」

 

 殺気を持つギレーヌに、酒場の客が何人か危険を感じて出て行った。

 だが、エリナリーゼは動揺することはなかった。

 彼女は、目の前の女が唐突に殺気を放ち、唐突に誰かを斬り殺す人物だと知っていた。

 また、自分が斬られはしないという事も。

 

「そのために、例のお姫様の護衛になったわけですのね」

「ああ」

 

 エリナリーゼはため息をつき、同じように天井を見た。

 

「ギレーヌも、変わりましたわね。

 昔は、そんな忠義心の高い騎士みたいな女じゃなかったのに」

 

 その言葉に、ギレーヌはふと動きを止めて、杯を見た。

 琥珀色の酒。

 そこに映る、自分の顔。

 結論はすぐに出た。

 

「……あたしも、ドルディア族だったということだ」

 

 ギレーヌはそう言って、立ち上がった。

 泥酔しているとは思えないほどしっかりとした足取りで、椅子を離れる。

 

「どこにいきますの?」

「帰る」

「あらあら、相変わらず、唐突ですこと」

 

 エリナリーゼは肩をすくめつつ、立ち上がった。

 懐から銀貨を取り出し、カウンターへと放る。

 

「ギレーヌ!」

 

 会計をすませたエリナリーゼは、夜道へと消えようとするギレーヌに声を掛けた。

 ギレーヌは振り返り、耳をピクリと動かした。

 

「アスラ王国では、ルーデウスとシルフィのことを守ってくださいませ!

 ふたりとも、わたくしの可愛い孫ですの!」

「……任せておけ」

 

 ギレーヌは尻尾をピンと立てて、返事をした。

 エリナリーゼは彼女とは逆方向。

 クリフの待つ我が家へと足を向けた。

 

 己の親友なら、言わずとも周囲の者達を守るだろうと信じて。