無職転生 - 異世界行ったら本気だす -

第百七十七話「赤竜の上顎」

 赤竜の上顎。

 ただ一本道が続く渓谷。

 聖剣街道のようにまっすぐではない。

 だが、分かれ道のない一本道である。

 国境と国境の間にある、どこの国のものでもない領域。

 

 そこを移動していると、大きな商隊とすれ違った。

 十台の幌馬車と、五十頭以上の馬に荷物を載せている。

 大きな商会が、アスラ王国から魔法三大国へと荷を運ぶのだ。

 

 長い行列には、一定間隔ごとに徒歩の人間がいる。

 護衛の冒険者だ。

 彼らは、鋭い目で俺たちをにらみつけてきた。

 

 それを見て、ふと昔の事を思い出した。

 確か、北部へと移動する際に、俺もああいう商隊の護衛をしたこともあった。

 あれほど大きな商隊ではなく、商人も若い者が多かったのは覚えている。

 彼らは俺にあれこれと声を掛けてくれたと思うが、ただ一人の名前も思い出せない。

 

 あの時、俺は一人だった。

 孤独だった。

 さびしかった。

 

 なにせ、エリスに捨てられたと思い込んでいた時期だ。

 男として終わったと思っていた時期だ。

 この世界には信じられるものなんて何も無い、なんて思っていた時期だ。

 あの頃は、ただ体を鍛えることと、御神体を崇める事だけが世界の真実だった。

 

 あれから、いろいろあったな。

 シルフィに自信というものを付けてもらって、今では一児の父だ。

 『立派な』という形容詞を付けられない所がつらいところだが、一応は父親だ。

 エリスとの事も勘違いで、今では彼女も俺の嫁。

 ロキシーも成り行き的な形ではあったが結婚して、ただいま妊娠中。

 嫁が三人で、夜の生活も充実。

 こんな状況を、当時の俺が見たら何というだろうか。

 ちょっと誰かの胸を借りたいなと思ったら、気軽に頼めるこの状況を……。

 

「……なによ、黙りこくって」

 

 隣からエリスの声が聞こえた。

 ふと見ると、いつしかエリスが轡(くつわ)を並べていた。

 ちなみに、俺は乗馬が出来ないため、シルフィの後ろにくっついている。

 

「ねぇエリス」

「なに?」

「おっぱい揉んでいい?」

「突然なによ……だめに決まってるわ」

 

 ダメか。

 気軽に頼んでも了承してもらえるかどうかは別だもんな。

 

 …………まあ。

 当時の俺が俺を見ても、何かを言うことはないだろうな。

 たださびしげに笑って、「おめでとうございます」なんていうだろう。

 昔の俺は、そういう奴だった。

 口で祝辞を述べつつ、そういった幸せは自分とは無縁だと思いつつ距離を取っただろう。

 

「……」

「あのさ、ルディ」

 

 前方から声が聞こえた、シルフィだ。

 

「エリスには触っていいか聞くのに、なんでボクには聞かないのかな……」

 

 気づけば、俺の手はシルフィの胸を揉んでいた。

 道理で掌が気持ちいいわけだ。

 

「おお、失敬。すまないマイスィート。無意識だったよ」

「まあ、ここには魔物もほとんどいないからいいけど……谷を抜けたら我慢してよ?」

「ありがとう、ありがとう、シルフィ、君はええ子や、ええ子やでほんと……」

「胸を揉みながら感謝されてもなぁ……」

 

 シルフィは耳の裏をポリポリと掻きつつ、苦笑していた。

 彼女の胸は結婚してからは事あるごとに触っていた。

 だから、シルフィも俺に胸を揉まれるのは慣れているフシがある。

 俺もシルフィの胸に対する思い入れは深い。

 

「ルーデウス、明日は私の後ろに乗ってもいいわよ!」

 

 エリスが対抗心を燃やしたのか、顔を赤くしつつそう言って、隊列の先頭へと逃げていった。

 ハハッ、モテモテだぜ。

 

 ……さて、そろそろ渓谷を抜ける。

 襲撃は必ず来る、そう考えて、俺も切り替えるとしよう。

 

 

---

 

 

 赤竜の上顎を抜けると、森が広がっていた。

 渓谷の出口はやや高い場所に位置する。

 そのため大きく広がる森と、遠くにある城壁が見て取れるのだ。

 だが、木々の高さもあり、途中にある曲がりくねった道は見えない。

 森のどこに何があるかはわからない。

 ここで何が起きても、誰にも見つからない。

 

 オルステッド曰く。

 城壁からはここ、森の出口が見えるらしい。

 誰が入り、誰が出たかを、向こう側は確認できるというわけだ。

 対して、こちらからは森が邪魔して、関所の出入口は見えない。

 これが地形的有利という奴だろう。

 襲撃に、うってつけ、か。

 

「とうとう、ここまで戻ってきたね」

 

 森の入り口で、シルフィが馬を止めた。

 ルークも止まった。

 馬車も止まった。

 つられるように、エリスとギレーヌも馬をとめた。

 

 従者が、御者台から降りた。

 シルフィとルークも、馬から下りた。

 馬車からも、アリエルが出てきた。

 彼女は、小さな花束を持っていた。

 五人は道端にある、石の所まで歩いた。

 

 飾り気も何も無い石だ。

 特に、何か装飾があるわけではない。

 だが、その表面には、×字の印が刻まれている。

 

 先頭のアリエルが石の上に花束を置き、手を組んだ。

 

 ミリス教団の祈りのポーズ。

 アリエルは敬虔なミリス教徒ではない。

 彼女が神に祈る姿など見たことはない。

 ルークもそうだ。

 従者はしらないが、シルフィも違う。

 

 つまり、あの石の下に眠るのはアリエルの知り合いだ。

 この森、赤竜の上顎で死んだ、アリエルの護衛の騎士か、術師か、従者だ。

 赤竜の上顎、国境付近では特に大勢死んだと聞く。

 

 なら、俺も一応ながら手を合わせておくとしよう。

 

「ここから先は襲撃の可能性が高まります。

 今日はここで休み、明日一気に抜けましょう」

 

 アリエルの言葉で、シルフィたちは馬へと戻った。

 その顔は、先ほどまでより引き締まっているように見えた。

 

 

---

 

 

 その日の夜は、もう一度フォーメーションの再確認を行った。

 その上で、各員がどんな技、どんな術を使えるのかを洗い出し、こういう状況になったらこう動く、というのをおさらいしておく。

 

 エリスとギレーヌは前衛。

 状況判断が早く、対応力のあるシルフィが中衛。

 予見眼を持っている俺が後衛。

 

 基本的に俺は全ての人員を視界に納める位置に立つ。

 予見眼は、見ていない所の未来は見れないからな。

 

 また、ルークと従者エルモアはアリエルの直衛となる。

 この三人も、装備はいいのだが、いかんせん戦闘力不足だ。

 エリスやギレーヌと並べて戦わせても、邪魔になるだろう。

 それなら、奇襲に備えて、アリエルの傍を守るというわけだ。

 

 従者クリーネはアリエルの持つ魔道具を使い、影武者として立ち回る。

 顔と髪色を変える魔道具だ。

 この日のため、従者二人は髪の長さをアリエルと同じぐらいに切りそろえたそうだ。

 体つきや身長は違うが……まあ、そこは仕方ない。

 ともあれ、従者二人の命がアリエルの残機というわけだ。

 俺は彼女らの事は何もしらないが、一人も殺されないように済ませたいものだ。

 

 明日は、襲撃はあるという想定で動く事になる。

 

「我々は転移魔法陣で移動してきました、襲撃者を配置するのは、もう少し後では?」

 

 という誰かの問いに対して、アリエルは答えた。

 

「ダリウス上級大臣は周到な方です。父上が御病気になった瞬間から、すでに手を打ってあるでしょう」

 

 との事だ。

 その相手がどんな相手かは、まだ誰も知らない。

 だが、北帝や水神がアスラ王国に雇われた、という情報はすでに共有してある。

 その上で、北帝オーベールが刺客となるであろう。

 という予想も話してある。

 

 その戦い方について、こう対処したほうがいいという事も伝えておこうかと思ったが、ルークとオーベールがヒトガミの使徒だった場合、そこから逆対策をとられる可能性もある。

 対策を取ったつもりが、逆に対策を取られていた。

 なんて事になったら、目も当てられない。

 

 今回は俺が一人で対処することとなる。

 オーベールの奇襲に警戒しつつ、全員を無事に守る。

 ギレーヌは……守るというより、守られるという感じになりそうだ。

 なんにせよ、誰も死なないように頑張ろう。

 

 

---

 

 

 翌日。

 

 打ち合わせた通りのフォーメーションで移動を行う。

 最前列にエリスとギレーヌ、続いて俺とシルフィの乗った馬。

 それにアリエルと従者二人の乗った馬車が続き、ルークが馬車の後ろとなる。

 

 警戒しながら森の中の一本道を進んでいると、先の見通しにくいカーブがあった。

 

 そこの直前。

 やや背の低い木に、あるマークが刻んであるのを見つけた。

 $のような形をしたマークは、事前にオルステッドと打ち合わせていたものだ。

 意味は『この先、待ち伏せ有り』。

 

 どうやら、自作自演にならずに済むらしい。

 俺は予見眼をめいっぱい見開き、杖を握り締めた。

 ザリフの義手も起動し、いつでも手のひらの吸魔石を起動できるようにする。

 森の中から、いきなり毒矢や吹き矢が飛んでくるかもしれないし、上級以上の魔術を馬車に向けてぶっ放してくるかもしれない。

 どちらでも、予見眼をかっぴらいてよく見ていれば、回避は可能なはずだ。

 

 だが、その必要は無かった。

 先頭を行くエリスとギレーヌの馬。

 二人の行く手をさえぎるように、鎧姿の兵士が並んでいたのだ。

 その数、十人以上。

 

「どう!」

 

 エリスとギレーヌが距離を置いて馬を止める。

 

「何者だ!」

 

 ギレーヌの言葉に、鎧の兵士たちは答えない。

 フルフェイスのヘルメットのせいで、表情は見えない。

 鎧姿の兵士の中に、ひときわ派手な羽飾りをつけた者がいる。

 あれが隊長だろうか。

 

「……」

 

 彼らは無言だった。

 無言で、ただ通せんぼをするように道を塞いでいた。

 

「ルディ……降りて」

 

 その言葉を受けて、俺は馬から飛び降り、アリエルの馬車の近くへと移動する。

 シルフィが馬に乗ったまま、前に出る。

 エリスとギレーヌの間に位置を取りつつ、隊長に向けて言い放った。

 

「護衛術士のフィッツだ!

 この馬車がアスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラのものと知っての狼藉か!

 どこの兵だ! 名を名乗れ!」

 

 高くて凛々しい声音が響いた。

 かっこいい。

 

「……」

 

 だが、隊長は答えない。

 ただ無言で、剣を抜き放った。

 

「!」

 

 それを皮切りに、兵士たちもまた、腰に下げた剣を抜き放った。

 ジャキンと甲高い音が森にこだまする。

 それと同時に、森の中からわらわらと完全武装の兵士たちが出てきた。

 ほとんどの者は剣を持っていたが、数名ほど杖を持っている。

 

「敵襲!」

 

 すでにルークは馬を降り、背後を警戒。

 御者台の従者エルモアは緊張の面持ちで鞭を握り締めている。

 馬車の中には、アリエルに化けた従者クリーネ。

 

 それを確認して、前を向く。

 

「うらあぁぁぁ!」

「ガアァァァ!」

 

 すでに、エリスとギレーヌは先頭の兵士へと斬りかかっていた。

 残像すら残らない剣速で次々と兵士たちを斬り倒している。

 向こうの方が先に剣を抜いたのに、攻撃を仕掛けたのはこっちが早いとは、これいかに。

 

「魔術は任せて!」

 

 シルフィは、二人に対して飛んでくる魔術を的確にレジストしていた。

 目視出来ないが、兵たちの後ろに魔術師がいるようだ。

 

 兵の数は30近くはいる。

 森の中からまだ出てきているから、もっといるだろう。

 だが、エリスとギレーヌに数の有利などあってないようなものであるらしい。

 瞬く間に数を減らしている。

 

 勝手に動くエリス。

 彼女の死角をギレーヌがカバーし、

 その二人を、さらにシルフィが魔術でサポート。

 囲まれないようにうまく立ち回りつつ、全身鎧の騎士たちを食いまくっている。

 強いな……あの三人は。

 任せておいても大丈夫そうだ。

 

「ルーク先輩! 後ろに敵は!?」

「いない!」

 

 馬車の背後を守るルークからの返答。

 まるで背後に逃げろといわんばかりの形だ。

 罠か?

 罠だろうなぁ。

 

「どうする、引くか!?」

「いえ、突破できそうですし、ここは前に……」

 

 と、前を見たとき、兵士たちの群れが割れた。

 そして、その間から出てきた人物を見て、エリスとギレーヌが動きを止めた。

 

 その人物は、予想よりも小さかった。

 大きさとしては、1メートルほどしかないだろう。

 小人族だ。

 小さな体を全身鎧に包んでいる。

 ずいぶんと綺麗に磨かれた鎧で、日の光を浴びてキラキラと輝いていた。

 ずんぐりむっくりしてて、まるでミラーボールみたいだ。

 

 彼が前に出てくると、周囲の兵士たちがやや安堵するのを感じた。

 先生お願いしますって感じだ。

 どうやら、強者らしい。

 てことは、奴がオーベールか?

 

「我が名は北王ウィ・ター!

 北神三剣士が一人!

 『光と闇』のウィ・ターである!」

 

 ……誰だよ。

 

「『黒狼』ギレーヌとお見受けする!

 いざ尋常に一騎打ちの勝負を挑む者なり!!」

 

 ミラーボールは剣を抜き放った。

 体の大きさに見合った、30センチ程度の短い剣だ。

 だが、その刀身は鏡のようにキラキラと光っている。

 

 それにしても一騎打ちとは。

 すでに数十対三の状況だが、どういうつもりだろうか。

 

「ふん」

 

 指名されたギレーヌは、鼻息を一つ。

 剣先をウィ・ターへと向けた。

 

「いいだろう!

 剣王『黒狼』のギレーヌ!

 お相手する!」

 

 ギレーヌは腰溜めに剣を構えて、そいつと相対した。

 それで、流れは止まった。

 こちらに押し寄せようとする兵は足を止め、下がりつつ遠巻きに眺め始める。

 シルフィもまた、こちらをチラチラと確認しつつ後ろに下がり、兵士たちの動向を警戒する。

 あの北王と呼ばれる男が、乱戦をとどめ、そういう空気を作ったのだ。

 

 だが、エリスは空気を読まなかった。

 下がった兵士たちに、ここぞとばかりに踊りかかった。

 

「ダアアァァァァ!!」

「えっ! ちょ! エリス!」

 

 釣られるようにシルフィも参戦。

 エリスの背後を守りつつ、乱戦が始まった。

 

 二人は大丈夫だろうか。

 敵の数は多い。

 今のところ、一太刀も受けていないし、かなり余裕があるように見える。

 ……よし、大丈夫そうだ。

 

 加勢したいが、俺はこの場を動けない。

 というのも、エリスが引いた兵に突っ込んだせいで、馬車との距離がやや離れてしまっているのだ。

 

 まだ、オーベールが出てきていない。

 出てくるまで、俺は動けない。

 

 オーベールは奇襲を得意とする。

 何かで眼を引いておいて、後ろからバッサリ。

 とてもシンプルな奇襲だが、そのタイミングは実に秀逸だ。

 意識の隙間。

 ほんの一瞬の間隙をついてくる。

 特に強力な魔術師を潰したい時は、魔術を撃った隙をついてくる。

 

 ゆえに、オルステッドは言った。

 もし戦闘になって、オーベールの姿が見えないようなら、やつが姿を見せるまで魔術は使うな。

 味方がピンチになったとしても、援護をするな。

 待っていれば、オーベールは標的を変え、最も油断した者に攻撃を仕掛ける。

 そこを狙い撃ちにしろ、と。

 

 だから、俺は動けない。

 目を皿のようにして周囲を警戒しなければならない。

 

 それにしても、少しまずいな。

 北王ウィ・ターなんてのが出てきたのは想定外だった。

 もし、オーベール以外に別の強い奴が出てきたら、撤退の指示を出さなければいけないだろう。

 

「うっ、くっ!」

「ハハァ! 『黒狼』ギレーヌ! 口ほどにもないな!」

 

 ギレーヌがウィ・ターに、やや押されている。

 というか、ギレーヌの動作がおかしい。

 ギレーヌが攻撃に出ようとすると、ほんの一瞬、止まり、顔をそむける。

 その隙のようなものを、ウィ・ターは見逃さない。

 鈍重そうな見た目からは想像できないほどすばやくギレーヌの懐に入り込み、刺突を繰り出している。

 ギレーヌは刺突を弾くか、回避するか、あるいは受け損なって肌に浅い傷を作っている。

 

 先ほどから、一度もギレーヌは攻撃を繰り出せていない。

 攻撃のモーションや溜めを入れるのだが、なぜかその度に顔をそむけ、ウィ・ターに先手を許してしまっている。

 何かをされている。

 だが、俺の位置からはそれがわからない。

 

 何をされているのか。

 ウィ・ターをよく見てみる。

 ミラーボールのようにキラキラと光っていて、見づらい。

 ヤツはギレーヌと一定の間合いを図りつつ、左手を前に出している。

 左手には、何も持っていない。

 なら、何か魔術を使っているのか?

 ギレーヌは顔をそむけている。

 てことは、砂?

 目潰しをしている?

 

 いや、そんな感じはしない。

 手から何かが出ているようには見えない。

 けど、確かにウィ・ターが左手をチラリと動かすと、ギレーヌが顔をそむける。

 それに、左手を向ける時もあるし、向けない時もある。

 

 ……いや、そうか。

 光だ。

 あの鏡のような鎧で日光を反射させ、ギレーヌの視界を奪っているのだ。

 ギレーヌが攻撃を仕掛けようとする度に、意図的に。

 

 なんてしょっぱい技を使うんだ!

 

 しかし、ギレーヌは辛そうだ。

 このままだと、負けるかもしれない。

 

 援護はすべきか?

 どうする?

 手遅れになってからでは遅い。

 そもそも、オーベールはいるのか?

 俺は、いもしない相手を警戒して、ギレーヌを見殺しにするのか?

 ……。

 よし。

 

 俺は杖に魔力を込めた。

 使う魔術は水と土。

 いつもの泥沼を、もう少しゆるく。

 混合魔術――。

 

「『泥雨』!」

 

 空を一瞬にして雲が覆った。

 落ちてくる雨粒は、チョコレートのような茶色。

 それは戦闘区域を一瞬にして覆い尽くした。

 たかが泥を含んだ雨。

 攻撃力は無い。

 されど地面に落ちれば、ゆるい泥と化し、兵士たちの足を奪った。

 何人かが滑り、倒れた。

 

 足腰を鍛えたエリス、ギレーヌに影響は無い。

 シルフィもまた、白い髪をまだらに染めつつも、意に介さない。

 

「ぬおぉ!?」

 

 そして全身を磨きあげたウィ・ターは泥まみれになり、ミラーボールは光を失った。

 

「ガアアアァァァァ!」

 

 ギレーヌの裂帛の気合が森に響いた。

 腰だめの剣から、光の太刀が放たれる。

 ウィ・ターが転がるように回避するも、肩口から大きく血が吹き出た。

 

 これでよし。

 引き続き、オーベールを警戒して……。

 と、後ろを振り返る。

 

「え?」

「お?」

 

 すぐ後ろに、その男がいた。

 傾奇者だ。

 

 虹色の上着に、膝までしかない下履き、腰には三本の剣。

 頬には孔雀の刺青があり、髪型はパラボラアンテナのように開いていた。

 背中には土色のマントを身につけている。

 マントからはサラサラと砂がこぼれ、道を作っている。

 道はすぐ近くにある穴へと続いており、その穴はちょうど背後を警戒するルークの死角となっていた。

 道に穴を掘って隠れていたのだ、こいつは。

 

「……」

 

 人相、服装が一致する。

 こいつが、北帝オーベールだ。

 

「気づくとは……」

 

 次の瞬間、予見眼がオーベールの動きを見ていた。

 <右手に持った剣を振りかぶる>

 

「だが魔術師にこの距離……闇討ち御免!」

 

 <オーベールが剣を振り下ろす>

 

 とっさに左手を前に出した。

 左手には、ザリフの義手が装着してある。

 義手は重さを感じないが、それでもオーベールの方が速い。

 

「『腕よ、飛べ』!」

「ふおぉ!?」

 

 義手がとんでもない速度で射出される。

 だが、すんでの所でオーベールは首を傾けつつバク転をして、腕を避けた。

 腕はバヅンと音を立てて、遠くの木にめり込んだ。

 オーベールは剣を持ったまま、眼を丸くしてこちらと、そして飛んでいった腕を交互に見た。

 

「な、なんと珍妙な……」

 

 俺も心臓がバクバクいっている。

 オーベールが仕掛けてくる事は知っていた。

 オルステッドから聞いて知っていたのに……くそっ。

 言いつけを破った結果が、これか。

 

 一対一でオーベールと相対することとなった。

 相手は北帝。

 奇襲を得意とするとはいえ、普通に戦って弱いわけでもない。

 だが、姿を晒したあとの対処法も聞いている……。

 勝てる、大丈夫だ、落ち着いていけ、俺は強い、アイムストロング、アイムストローン、アイムスタローン。

 

「『泥沼』のルーデウス」

 

 オーベールは、すぐには攻めてこなかった。

 彼は突っ立ったまま、話しかけてきた。

 

「話には聞いていたが、なるほど、これは手強そうだ」

 

 なぜせめて来ないのだろうか。

 せめてこないと対処法が使えんのだが……。

 

「……俺の名前、どこで聞いたんですか?」

「ある獣に、剣を教えていた時にな。

 その獣が申しておった。

 ルーデウスはすごいんだから、と」

 

 エリスか。

 

「あの獣を傅かせる男。

 それはそれは奇特な男だろうと思っておったが、

 まさか噂通りに腕を飛ばすとは……」

 

 俺のロ○ットパンチに目を奪われたらしい。

 他に何か変なことをしてこないか、という警戒の目で見られているのだ。

 失敬な奴だ。

 人を珍獣みたいに……。

 

 だが、警戒大いに結構。

 なにせ、俺の視界の端ではウィ・ターを退けたギレーヌが、こちらに向かってきている。

 そう遠くない距離だ、すぐにでも来てくれるだろう。

 二対一なら、勝率はグッと高くなる。

 

「エリスに、ギレーヌ。

 無言のフィッツに、泥沼のルーデウス。

 念のため、ウィ・ターを連れてきたが……。

 某がルーデウスを仕留め切れないとなると、ちと厳しい所であるな」

 

 よし、とオーベールは一人で納得し、頷いた。

 来るのだろうか。

 

「だが、相手にとって不足はなし!」

 

 来るな。

 けど、今の状況なら、数秒でも耐え切れば、ギレーヌとハサミ撃ちだ。

 そして、オーベールの使う技は、だいたい知っている。

 いける。

 仕留められる。

 

「某の名は、北帝オーベール・コルベット!」

 

 オーベールは左手で剣を抜き、右手の剣を鞘に戻した。

 俺はそれに呼応するように杖に魔力を込めて……。

 

「推して……去らばだ!」

 

 オーベールはダッと駈け出した。

 俺ではない、ギレーヌの方へ向かって。

 あれ?

 いま、サラバって言った?

 

「オーベール!」

「おぉ、ギレーヌ、久しく見ないうちに……」

「ガアアァァァァ!」

「何も変わっておらぬと見た」

 

 オーベールはいつしか手に持っていた袋を投げた。

 袋はゆったりとした放物線を描いて、ギレーヌへと飛んでいく。

 ギレーヌは咄嗟に、その袋を中空にて切り落とした。

 

 その途端、袋の中から、パッと煙のようなものが散った。

 ギレーヌはそれをまともに顔に浴びて……。

 いかん。

 

「『岩砲弾』!」

「おおっとぉ!」

 

 背後から飛来した岩の塊を、オーベールはなんなく回避した。

 そこにギレーヌが追撃……できない。

 彼女は顔面に浴びた粉で、目から大粒の涙を流しつつ、クシャミをしている。

 香辛料を混ぜた、オーベール特製の催涙弾だ。

 オーベールはゴキブリのようにギレーヌの脇をすり抜け、兵士を殲滅しつつあるエリスとシルフィに接近した。

 

「撤収! 撤収! やり直しだ!」

 

 その言葉に、兵が一斉に森へと逃げはじめる。

 と、同時にエリスがオーベールに気づいた。

 シルフィをかばうように体を移動させ、迎撃しようとする。

 

「ウガアアァァァ!!!」

「『剣よ、燈火を!』」

 

 詠唱と同時に、オーベールの剣が炎に包まれた。

 オーベールはサイドステップを踏みつつ、素早く腰から何かを取り出して、口に含む。

 この技も知ってる。

 間に合う。

 

「ブゥゥゥ!」

「『水壁』!」

 

 オーベールの口から油が噴出、炎の剣に引火して、エリスへと襲いかかった。

 だが、寸前に俺が張った魔術がそれを阻止した。

 火は水壁へとあたり、一瞬にして鎮火される。

 

 エリスは目の前の水壁の事など構わない。

 俺の魔術ごと相手を寸断するべく、大上段から袈裟懸けにオーベールへと斬りかかった。

 

「たああぁぁ!」

 

 ザンッ、という音が聞こえた。

 ドサリと、オーベールの上半身が分断され、地面へと落ちた。

 

「よしっ!」

「チッ」

 

 俺が喜んだのに対し、エリスは舌打ちをした。

 よく見ると、地面に落ちているのはオーベールの上半身ではなかった。

 丸太だ。

 いつの間にか、丸太が地面に転がっていたのだ。

 砂まみれのマントにくるまった、丸太が。

 

 ん……?

 どういう事だろうか。

 予見眼で見ていたはずなのに、何が起こったかわからない。

 

 と、思った瞬間。

 丸太に向かって、何かが飛来した。

 鉤爪だ。

 ロープのついた鉤爪が、丸太に向かって飛んできたのだ。

 鉤爪は布にガチリと引っ掛かると、一気に引きぬいた。

 布は中空をひらりと舞い、ロープの先を持つ男の元へと落ち着いた。

 

 森の中に、草花でカモフラージュしたマントを身につけたオーベールがいた。

 オーベールが鉤爪で布を回収したのだ。

 てことは、あのマントはマジックアイテムの類か?

 二つのマントは、身につけた相手を瞬時に入れ替える、とか。

 身代わりの術か。

 あれは聞いてないぞ、オヤブン!

 

「腕を上げたな狂犬よ! 今回は失礼させてもらう! また相見えよう!」

「待ちなさい!」

「待つのはエリスだよ!」

 

 エリスはオーベールを追いかけようとしたが、シルフィに止められた。

 

「森の中にはまだ兵がいるんだ! 一人で突っ走らないで!」

 

 エリスはその言葉に、俺の方を見た。

 ついで、オーベールの消えた方向。

 そして、舌打ちを一つ、剣を腰におさめた。

 

「ふん」

 

 不機嫌そうな顔で、こちらへと歩いてくるエリスと、

 杖を構えたまま周囲の警戒を続けるシルフィ。

 ひとまず、周囲から敵の気配は消え去った。

 残るのは死体だけだ。

 

「ふぅ……」

 

 ひとまず、これで襲撃は終わりだろう。

 

 だが、ここで気を抜くと、またオーベールが仕掛けてくるかもしれない。

 少なくとも、夜までは警戒を続けよう。

 

 

---

 

 

 戦闘後。

 

 敵はほぼ壊滅。

 こちらの被害はほぼ皆無。

 ギレーヌが小一時間ほど、涙とくしゃみが止まらなかった程度だ。

 治癒魔術と解毒魔術が効かなかったため、少しだけ焦ったが、水魔術で洗い流すと症状は収まった。

 治癒も解毒も、以外と弱点が多い気がするな。

 多分、花粉症にも効かない。

 この世界には、花粉症なんてなさそうだが。

 

 

 道端の死体はすぐに片付けた。

 

 そのままにしてもよかったが、ここは森の中だ。

 放っておけば、死体はアンデッドとなって蘇ってしまう。

 死体を放置する行為は、基本的に禁忌なのだ。

 鎧を剥ぎ、遺品となりそうなものを道端にまとめてから、死体を焼いていく。

 

「……」

 

 その作業をしている間、ルークの顔色が悪かった。

 彼は作業を続ければ続けるほど、顔色を悪くしていった。

 死体に慣れていないわけではなく、死体の鎧に注目していた。

 何か、あるのだろうか。

 

「ねぇ、ルーク、この紋章って……」

 

 理由はすぐに判明した。

 たくさんある死体のうちの何割か。

 彼らの鎧に、ある紋章が書いてあったのだ。

 その紋章はアスラ王国の、とある領土の領主のものだ。

 その領土の名を、ミルボッツ領という。

 アスラ王国において極めて強い力を持つ地方四大貴族の一つが納める領地だ。

 俺たちを襲撃した兵士の中に、その領地を治める者の兵士がいたという事になる。

 

 それが意味する事。

 察してルークがつぶやいた。

 

「馬鹿な……」

 

 ミルボッツ領領主。

 ピレモン・ノトス・グレイラットは、アリエルを裏切ったのだ。